Sweet Talk 02
机の上の課題はひとまず忘れることにして、「おれ、丁度いいもん持ってる」と言うあたるのそばに面堂は立っていた。あたるはしゃがみ込んで、机の脚に立てかけられていた学生鞄のなかに手を突っ込んでいる。だが、どういうわけかあたるはなかなか肝心のものを出してこない。
他人の鞄の中身を覗くような下世話な真似をするつもりはなかったのだが、不思議に思ってあたるの手元を一瞥した瞬間面堂は思わず呆れた。
「だらしないなあ……そ~ゆ~生活態度だから宿題をため込むようなことになるんじゃないのか?」
「よけ~なお世話じゃ!」
鞄の中をごそごそして何冊か漫画や雑誌をぽいぽいと外に放り投げた後、あたるは鞄の奥底に沈んでいたらしい小さな濃灰色の袋を、ようやく引っ張り出した。袋の口を閉じる紐をゆるめてひっくり返し、あたるはその中身を手のひらの上に落とす。
面堂は小さく首を傾げた。
「なんだそれは?」
「見てわからんのか?」
「わからんから聞いている」
あたるの手の内にあるのは小さな丸いおもちゃのようなものだった。丸石状の淡いピンク色のプラスチックから、白いコードが二本伸びている。コードの先には小さな丸っこいクリップがそれぞれついている。
あたるはへらりと笑って、面堂を手招きした。面堂が怪訝な顔で隣にしゃがみ込む。あたるは面堂に小さな声で耳打ちした。
途端に、今度は弾かれたように面堂は身を引いた。
「そっ……、そ、そんないかがわしいもの、きさまはいったいどこから……」
「まぁまぁ。今はそんなことど〜でもいいではないか!」
全然どうでもよくはないのだが、確かに入手経路をとやかくいう前に確認すべきことは他にあった。
「ちょっと待て、きさまの言う勝負とは……」
あたるは実にさわやかな笑みを浮かべて、そのいかがわしい機械を面堂の前で振ってみせた。
「おまえがこれで三十分イくの我慢できたらおまえの勝ち。イッちゃったらおれの勝ち。どう?」
「ふっ……」
面堂は前髪をかき上げて小さく笑う。そこから刀を抜き放ち目にも止まらぬ速さであたるに斬り掛かった。
「ぬゎんでこのぼくがそんなもん付けにゃならんのだっ!!」
「おのれはいちいちその物騒なもん抜かんと話ができんのかっ!?」
あたるの方も、その速度に負けぬ反射神経ではっしとそれを手のひらで受け止めた。
光閃く白刃を挟んで、面堂はあたるを睨みつける。
「そんなに使いたいなら自分に使えばいいだろ〜がっ!」
「いや〜無理無理、 おれおまえみたいに乳首感じねーもん!」
「っ、ぼくだってきさまがあんなことする前は――」
面堂はさっと頬を赤くして言い返しかけたが、あたるのへらへらしたアホづらを前に我に返った。
ここであたるのペースに巻き込まれるわけには行かない。
「たとえ何があろうとそんなの絶対にお断りだ!!」
「え〜」
あたるは不満げに唇を尖らせる。
「……あ、わかった」
そして、面堂を真っ直ぐ見上げながら含みのある笑みを浮かべた。
「おまえ、乳首弱いもんな~。コレでイくの我慢する自信ないんだろ?」
「誰もそんなこと言っとらんだろうが!!」
「ま、口だけならど〜とでも言えるよな〜」
面堂はむきになって声を荒げた。
「たかだか三十分だろう!! そんなちゃちなガラクタがこのぼくを満足させられるわけがない!」
「ほ~~。確かか?」
「当然だ!」
「おもしろい! そこまで言うんなら、おれが勝ったら宿題だけじゃなくって、罰ゲームでもしてもらおうか?」
「なら、ぼくが勝ったら当然きさまにも罰ゲームを受けてもらうぞ!」
面堂は刀の切っ先をあたるに向けながら、高らかに宣言した。
「負けた方は今夜一晩、相手の言うことを何でも聞く! それでいいな諸星!」
「よかろう、必ず後悔させてやる!」
そんな成り行きで、面堂はこのいかがわしくて実にくだらない勝負をあたるとすることになったのである。
面堂がベッドの端に腰掛けると、あたるもその隣りにぽすっと腰を下ろした。遠慮のない身の投げ出し方に、ベッドフレームがかすかに軋む。一人で寝ているときにはまず聞く機会のないそれは、あたると過ごす夜ではいつも繰り返し聞くことになった。
面堂はその音からつとめて意識を引き剥がして襟元のボタンに手をかけ、ホールにくぐらせひとつはずす。そのまま二つ目に手をかけたところで、面堂はふと手を止めた。
「ど〜した、怖じ気づいたか?」
面堂はあたるの軽口に応える代わりに、真面目な顔であたるの目をしっかり見据えた。
「始める前に、一つ条件を出しておく」
「ん?」
「件の三十分間、ぼくの身体には指一本触れるな」
「なるほど?」
あたるは神妙な面持ちになってわざとらしく腕を組んだ。
「それはつまり、おれがおまえにさわってたら気持ちよくなってすぐイっちゃうと――」
「誰もそこまで言っとらんわ!!」
面堂が胸ぐらをつかんで怒ってみせても、あたるはかえってへらへらと楽しそうに笑っている。この男のこういうところが一番腹立たしいと、面堂はつねづね思っている。面堂は諦めてあたるをやや乱暴に突き放すと、あたるの鼻先にぴっと人差し指を突きつけた。
「いいな! ぜっったいぼくにさわるなよ!」
「くどいっ! さわらんと言うとろ~が!」
「きさまはど〜〜も信用ならんからな。きちんと言質を取らねば安心できん!」
「失敬な、おれのどこが信用ならんというのだ!」
「そ〜いうことは夏休みの間に課題をちゃんと終わらせてから言え!」
あたるはそれには答えずに窓の外に目を向けた。相変わらず月は夜空で白く輝いているが、もちろんあたるはその美しさに突然気を取られたわけではないだろう。面堂はあたるに聞こえるように大きくため息をついてから、青いシャツのボタンに触れ、改めて上から順に一つずつ外していく。その隣であたるは、足をぶらぶらさせながら「明日はちゃっちゃと答え写して、ガールハントの再開だな!」などと能天気なことをほざいていた。
「日曜の午前中ならたぶんえみちゃんとけーこちゃんが公園でジョギングしてるはず……いやいやでも商店街のほうにいけば――」
ひどく真剣な表情で、最も効率よく数多くの女子と遭遇するルートを計算しているあたるを横目で見ながら、面堂は小さく息を吐いた。本当に、今日一日でその集中力の十分の一でも出していれば、こんなくだらないことをしなくたってもう課題なんか終わっていただろうに。
ボタンを外し終わってから、今度は白いスラックスと下着を脱ぎ、丁寧に畳んで脇に置いた。シャツは羽織ったままにした。たとえ布一枚だろうが、無遠慮な視線を遮るものは少しでもあった方がいい。
面堂は指先でコードをつまんで、ソレを持ち上げる。実際に見るのは初めてではあったが、こういうものの存在自体は面堂も知っていた。本来なら高校生である自分たちが持つべきではないもの、自慰行為の補助をする道具。あたるが持ってきたのは、本人が言うには乳首クリップと呼ばれるものらしかった。丸石のようなものはスイッチになっていて、起動すればコードの先にある二つのクリップが振動する。そのクリップをどこにどういう目的で付けるかといえば、その名前が指し示す通りというわけで。
面堂はコードの先のクリップをじっと睨んでから、指でつまんでぐっと力を入れてみる。それほど強い力をかけずともクリップの先は開き、力を抜けばすっと閉じていく。見れば見るほどなんだか気が進まなくなってきた。とはいえ、大見得を切って「やる」と言ってしまった手前、いまさら後には引けない。
あたるには気付かれないように静かに深呼吸してから、面堂はそれを乳首に近づけた。
柔らかく芯を持っていない状態の乳首を挟もうと思っても、滑ってしまってやりにくい。何度か外れてはつけるのを繰り返していると、あたるが言った。
「おれがやってやろうか?」
「黙れ。ぼくに触れるな」
伸びてきた手をぱしっとはたき落とす。面堂はそろそろと慎重な手つきでもう一度クリップの先を開いて、そっと先を挟み込んだ。
ちゃちなプラスチックは肌に触れるとほんのりと冷たかった。性的快感を与えるためだけに存在する機械がこうして敏感な箇所に繋がっているのを実際目の当たりにすると、かすかな興奮が背筋をなめる。いや、そんなことではいけないと、面堂は慌てて視線を別の場所にそらした。こんな悪趣味な代物で喜ぶような馬鹿者は、目の前のアホ一人で十分だ。
「どお、痛い?」
「いや……」
「じゃ、ひょっとしてもう気持ちよかったり――」
「するわけないだろうが、アホかきさまは!!」
あたるはくくくと忍び笑いをこぼす。面堂はそのにやけたアホづらを睨みつけた。何としてもこのふざけた貧乏人に、面堂家の次期当主たるこの自分が負けるわけにはいかない。
サイドボードに置いてあった時計を使い、あたるにいかさまをされないように面堂が直々に注意深くタイマーをセットする。ことりと時計を戻したところで、隣であぐらをかいて座っているあたるが呑気な顔でスイッチを持ち上げてみせた。
「じゃ、はじめるとすっか?」
「さっさとやれ!」
タイマーが動き始めると同時に、コードの先にあるスイッチにあたるが触れる。カチッと音がして、クリップが振動し始めた。
「っ、ん……」
はじめの一瞬はぴくんと身体が反応したが、それだけだ。絶え間ない振動はどことなく不愉快な感じがするが、快感には繫がらない。将来的に気持ちよく感じそうな気配もなかった。このままなら、特に苦労せず三十分持ち堪えられそうで、面堂はホッとした。
しかしそうなると三十分というのは長い。手持ち無沙汰にぼんやり過ごすとなれば、時の流れは途端に滞りゆるやかになる。せめて今後のことでも考えれば建設的に暇を潰せるだろうか。
勝負に勝ったらなにをするか。もちろんあたるに課題をやらせるに決まっている。今度はあたるのペースに合わせるなんて生ぬるいことはせず、少しでも手を抜き始めたら刀で脅してみてもいいかもしれない。そうしたら、少なくとも明日だけは自由にできるだろう。だいたい、あたるがさっさと課題なんか終わらせていれば、今日だってふたりで……。
ふと、視線を感じて面堂の意識は現実に引き戻された。気が付けば、あたるが胡座をかいてだらしなく座りながら、面堂のことをじっと見つめていた。それも、面堂の胸、今まさにいかがわしい機械のつながれた乳首を眺めている。
面堂はあたるを睨んだ。
「おい、何を見ている……」
「さわるなとは言われたが、見るなとは言われとらん」
「……こんなの見たところで面白くも何ともなかろう」
「そうかもな〜」
あたるはにっこり笑ってそう言うが、視線は変わらずじいっと乳首に注がれたままだった。さわられてもいないのに、執拗な、舐めるような視線に、ぞわぞわと変な気分になってくる。面堂はあたるから目を逸らした。
視界から外して意識しなければ、見られていようがいまいが関係ない話だ。面堂はあたると振動するクリップのことは思考から追い出して、もう一度明日へと意識を集中させようとした。
「ところで面堂」
だが、あたるが世間話をするような軽い調子で話しかけてくるので、面堂は仕方なく返事をした。
「……なんだ」
「乳首からこ〜してコード伸びてるのって、なんかこう、えろいな」
「なっ、何をほざくかと思えば……っ」
さっと頬に赤みが差した。面堂は心持ち身を引きながら、黙れという意味を込めてあたるを睨む。
しかしあたるはまったく意に介さずかえって身を寄せ、シャツの隙間から覗く乳首を無遠慮に眺めている。
「あ、ちょっと勃ってきた? 色もすこし赤くなったような」
「っ、いちいちおかしなコトを言うんじゃない!」
するとあたるは両手をひらひらさせながら、ぺろっと舌を出して笑った。
「黙ってろとも言わなかっただろ? さわらなきゃ何しても文句言われる筋合いはねーな!」
確かにそのとおりだった。面堂は不機嫌に顔を背けながら、小さく息を吐いて口を閉ざした。
「で、どう? 実際きもちいい?」
「だから別にこんなの――!」
「そーやって根本からギューって押さえていじめられるのと、おれに指でいじられるのじゃやっぱ違うだろ?」
あたるはベッドに手をついて少し身を乗り出すと、面堂の耳元で低く囁いた。
「おまえは、痛いの好きだから……ソレもすごく気持ちいいよな」
「っ……!?」
ぞくっと背筋が震えて、面堂は反射的に口元を手で覆った。面堂自身はそんなふうには全く思っていない、のに、身体があたるの甘い声に勝手に反応している。
あたるは声を立てずに笑って、戸惑っている面堂をからかった。
「ちょっとゾクゾクしてきた?」
「しているわけがないだろ~が、ばかばかしい!」
そっぽを向いて冷たくあしらっても、あたるは黙ろうとしなかった。
「で……けっきょくソレと、おれに指で先っぽ優しくとんとんされるのと、どっちが気持ちいいのだ?」
「あのなぁ! なぜこのぼくが、きみにそんなこと答えにゃならんのだ!」
「まあまあ。ほれ、よく考えてみろ。いつもならこう……」
あたるは面堂の胸、機械のつけられた乳首のすぐ手前にすっと人差し指を近づけ、触れるか触れないかという距離でゆっくりと円を描いた。
「くるくるーって周り撫でてから、優しくすりすりしたら先が固くなってきて……」
「あ……、」
こんなあほらしいこと、付き合わない方がいいとわかっているのに、面堂はあたるの指先から目が離せなくなっていた。
確かにそれは、あたるが普段ならよくするさわり方で、面堂にもなじみがある。はじめは直接さわらず乳首の周囲ぎりぎりのラインをそっと撫でさすり、面堂が胸を意識し始めてから、はじめてそこに触れた。やわやわとされるがままだった先端は、あたるが指先を優しくすり寄せるたびに熱を帯びて、芯を持ち、指を押し返すようになる。その頃にはもっと強い刺激が欲しくなってくるのに、あたるはいつまでも羽根でなぞるように軽く触れるばかりなのだ。じっくりと時間をかけ、いつまでも満たされない欲求に面堂が焦れて、もうそれ以上我慢できなくなってからようやく、あたるは面堂のピンと立ち上がった乳首をぎゅっと強くつまむ。それが、いつも悔しいくらい気持ちよくて……。
面堂の思考がそこにたどり着いたのとほとんど同時に、乳首の前のあたるの指、人差し指と親指が、何かを押しつぶすように虚空できゅっと輪を閉じた。
「……っ…!」
それを見た瞬間、反射的に身体がびくっと跳ねていた。本当にさわられた時のように、クリップの付いた胸の先から痺れるような快感がじわりと身体に染み込んで、面堂はわけもわからずぞくぞくと背筋を震わせる。何が起きたのだろう。今はただ、あたるの動きを眺めていただけなのに。
動揺を懸命に抑えている面堂の前で、あたるは機嫌よく指をひらひらと動かした。
「おまえ、好きだよな~、今の」
「~~っ、諸星! 悪趣味な真似も大概に……」
「だから、こ~ゆ~こと、するなとは言わなかっただろ?」
「……っ」
それからはもう、似たような応酬の繰り返しだった。あたるは今までのセックスの内容を面堂に思い出させるように、事細かに説明しながら、指先で同じ動きを再現してみせる。
そのたびに、身体がぞわりとして少しずつ熱を帯びてくる。なら見なければよかろうと、目を閉じてみても無駄だった。視覚の情報がなくなる分、あたるの言葉を余計に意識してしまうし、例の不愉快な機械がもたらす振動も無機質な騒音も存在感を増した。つまり、どうしたって逃げようがない。
それでも面堂は、篭もる熱のせいで息が乱れてきたのを押し隠し、姿勢を崩さないまま黙って耐えていた。何も知らない人間が今の面堂を見かけたところで、ひどく不機嫌で退屈そうにしているとしか思わなかっただろう。だが残念ながら、あたるはこういうときの面堂の反応も、誤魔化すときの仕草も、既にあらかた把握しきっていた。
耐えきれずに押し殺した息を時折こぼす面堂を眺めながら、あたるは目を細めてにまりと笑う。
「おまえ、もうけっこう気持ちよくなってきただろ」
「これはっ、きみがあんな……!」
口を開いた途端、ぞわ、と背筋に甘い快感が走り抜けて、面堂は咄嗟に唇を噛んだ。こんな調子ではろくろく文句も言えない。
「ど〜した面堂、あんなに自信満々だった割にはずいぶん調子が悪そうだな〜?」
「っふ…卑怯、だぞ、こんな……!」
「だから、おれはルール違反は何一つしとらんぞ」
ふ、とあたるが小さく笑う。
「ちなみにこれ、振動のパターンがいくつかあるらしいぞ」
「は?」
「試しに変えてみよ〜ではないか。そ〜れ、ぽちっとな」
「なっ、ちょ…っ!?」
一定の強さで絶え間なく続いていた振動に、突如あきらかな強弱が加わってびくっと肩が跳ねてしまう。
「こ、こんなの聞いてないぞ…!」
「いや、普通あるに決まってるだろ、こーゆーの」
「ぼくが知るわけないだろうがそんないかがわしい常識を!」
あたるは新しいおもちゃを手に入れた子どものように、うきうきとボタンをいじった。
「な〜面堂、どのパターンがいい?」
「どれもすきじゃないっ、これ以上おかしなことを言うようなら――」
かち、と切り替わった振動に、肩が跳ねた。
「ぁ……っ」
小さく喘いだところで、面堂は慌てて口を閉じた。へんな声が出てしまった、こんなはずではなかったのに。目の前の男には聞こえていないことを面堂は切実に祈った。
だが、現実は非情である。あたるはスイッチをいじるのをやめて、にまーっと笑みを浮かべる。
「なるほど?」
「かっ…勘違いするな、今のはそういうアレでは」
「このまま振動『強』にしてみるか」
「やっ…!」
またスイッチが押された瞬間、舐めるように細かく弱かった振動が一気に強くなり、より影響力を増して乳首の感覚を支配し始めた。こんなもので感じてたまるかと頭では思うのに、一度欲に火が灯されてしまった身体は甘い飴を求めて、与えられる快楽は何でも受け入れてしまう。無機質で、なんの意図も感情も含まれていない、ただ特定のパターンの振動を繰り返すだけの低俗な機械に、性的な快感を引きずり出されるのは、面堂にとっては屈辱だった。
かすかに震える手でぎゅっとシャツの裾を握りながら、面堂はじわりと涙の浮かんだ目であたるを睨みつける。
「もろぼ、し、いいかげんに…っ」
「やめてほしい?」
淡いピンクの機械を指先でゆっくり弄びながら、あたるは面堂の顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「おまえが乳首きもちいいって、素直に認めるなら設定元に戻してやってもいいが?」
「なっ……そんなの、死んでも言うか、アホ!」
「そお? じゃ、あと二十分、このままがんばれよ~」
これが、あと、二十分? 面堂が頬を引きつらせるのと反対に、あたるは心底楽しそうににこにこしている。そのお気楽な顔を見ていると無性に腹が立ってきた。いつかぜったい殺す、と何度目かわからない決意を新たにする。
だがそれも、これを耐えきってからの話である。ぴくんぴくんと跳ねる肩をぎゅっと押さえて、面堂は快楽に流されないように集中して冷静さを取り戻そうとした。
だが、時間が経てば経つほど状況は面堂にとって不利になっていく。身体の感度は上がる一方で、どろどろした性欲が面堂の理性的な部分をじりじり焦がしていた。呼吸するたびに生まれるわずかな体の揺れで、肌とシャツがかすかにこすれる感覚すら、今はいやに意識してしまう。きもちいい、という言葉がしきりに頭をかすめるようになり、何度打ち消してもそれは面堂の元までしつこく戻ってきた。
(まずい……このまま、だと……何も考えられなくなる……)
音と振動が、乳首から身体の奥へとじんわりと浸透していくような、なんとも言い難い妙な感覚が面堂を捉え始めていた。きもちいい、クリップから感じる振動が、乳首を無理やり押さえつけられる圧迫感が、耳を犯す無機質な振動音が、とろけるように甘い快感を生んでとくとくと身体を巡り、どろりと全身を満たしていく。
こんなくだらない玩具なんか、気持ちいいはずなかったのに。この男に負けることなんか今度こそありえないはずだったのに。胸の先が、身体の奥が、じんじんして、あつくて、霧がかかったように思考がぼんやりしてくる。
そして、その隙につけこむように、あたるは低く抑えた甘い声で追い打ちをかけた。
「おまえがおもちゃで気持ちよくなってトロトロになるとこ見たいなぁ」
「っ、やだ…」
「『ちゃちなガラクタ』で乳首いじめられてイっちゃうとこ……おれに見せてよ」
「絶対、いやだ…っ」
半ば自分に言い聞かせるように、面堂は必死に首を振った。このまま向こうのペースに呑まれたら、勝てるものも勝てなくなる。
「早くイっちゃえよ、面堂」
だが、どんなに否定し快感を拒絶しようとしても、あたるは面堂の葛藤を弄び、蜂蜜のように甘い誘惑をとろとろと注ぎ込んでくる。
「我慢したって辛いだけだろ。もう後ろも疼いてきたんじゃないのか?」
「っひ…」
「気持ちよすぎてわけわかんなくなるくらいグチャグチャにしてやるのに」
「諸星、もう黙ってくれ…っ!!」
「だ〜め、おれの言うことちゃんと聞いてろ」
「ぅあ……っ」
身体がおかしい、熱くてぞくぞくして、自分のものではないようだった。
「もう挿れてほしいよな〜?」
普段なら絶対に女の子相手にしか出さないような甘ったるい声色で、あたるは畳みかけるようにいやらしい言葉を紡いでいく。
「おまえ、おれのチンポで前立腺ぐりぐりーってこすられるの好きだもんな。この前だって、それで何回も――」
その瞬間、つい先日のあたるとの行為の記憶が脳裏に閃いて、ぞく、と身体の奥が切なくなる。面堂はぎゅっとシーツを握って歯を食いしばった。
「〜〜…ッ♡♡」
「ふ……思い出しちゃった? あんまり記憶力がいいのも考えものだな〜」
「っ、ぅ…ッ♡」
頭の中が熱でぐるぐるする。あたるの言葉が面堂の意識に絡みついて、もがけばもがくほど雁字搦めに縛られていってしまう。
言葉を通じてセックスのときの記憶と感覚を無理矢理呼び起こされ、熱くてたまらないのに鳥肌が立っていた。そのうえで注がれるこの絶え間ない振動が、身体の興奮をますます高めつつあった。こんなことで、こんなところで気持ちよくなんてなりたくないのに、考えまいとすればするほどかえって感覚は鋭敏になり、乳首は甘い快感を覚えるようになる。
「もろぼし…、もうよしてくれ…っ」
「そろそろ楽になりたい? 素直になればすぐ終わるぞ〜?」
面堂はぐっと詰まった。すぐ目の前にある快楽は、確かに面堂がその気にさえなればなんの苦もなく手に入るはずだった。元々何かを我慢するのは苦手なのだ。これ以上、苦しい思いをしてまで耐える必要があるだろうか?
面堂はためらいがちに震える唇を開く。あたるがそれを見ながら、かすかに面堂のほうに身を乗り出した。こく、とあたるの喉が動く。面堂は小さく息を吸って、それを口に出そうとした。
舌にのせようとした言葉は、しかしそこで凍りついた。面堂自身すら戸惑ううちに、言葉はふっと形を失い消えていく。
幼い子どもが駄々をこねるように、面堂は強く首を振った。
「だめ、だ……そんなこと、ぼくにはできない!」
「も〜、おまえはほんっと……!」
あたるは最後まで言わなかった。今にも泣き出しそうな面堂の顔つきを見て、途切れた言葉は小さな溜め息に変わる。
「よ~しわかった! こーしようか」
「わかった、って、なにが……」
あたるは普段イタズラを仕掛けるときと同じ笑い方でにっこりした。
「今から十数えるから、おれがゼロって言ったらイくの。いいな?」
「なっ、何なんだそれは! ど〜してぼくがそんな…っ!」
「よ〜し行くぞ。じゅーう、きゅーう……」
「諸星、人の話を聞いているのかっ!?」
あたるは面堂の言葉を綺麗に無視してカウントし続ける。
「はーち、なーな……」
「ぁ、くそ…っ!」
催眠でもかけられているように、数字が下るに連れて自分の体の支配権があたるに握られつつあるのを面堂自身感じていた。もう訳がわからなくなってくる。あたるは面堂には指一本触れていないのに、ただ、言葉が時折投げられるだけでしかないのに、あたるに全身を優しく触られているときのように身体が熱くてどうしようもなかった。
「さーん、にーい、い〜〜ち……」
あたるはそっと身を乗り出して面堂の耳に唇を寄せる。吐息を吹き込むように、とびきり甘い声で最後のトリガーを引いた。
「……ゼロ♡」
瞬間、頭が真っ白になる。
「っく、ふぁ、〜〜〜…ッ♡♡」
ぞくぞく、と腰が震え、足の指に力が入ってシーツを引っかく。だめだとわかっているのに、止められなかった。びゅるるっ、と勃起した陰茎の先からこらえ切れなかった精液が飛び出し、面堂の腹にかかった。
「はい、お疲れさん」
ふらりとバランスを崩した面堂の身体を、あたるは素早く腕を伸ばして抱き留めた。面堂の目尻に溜まった涙を舐めて、仕立てのいいシャツの上から面堂の腰をするりと撫でる。
「ひ…ッ!」
身体のラインをなぞる指の動きすら、散々に焦らされ続けた今の身体にはどうしようもなく気持ちよくて、面堂は身をよじった。あたるはそれを優しく押さえながら、するすると手のひらを足のつけ根に滑らせていく。あたるの手がそれを包んで握った瞬間、走り抜けた快感に思わず太腿がびくりとこわばった。
「うっあぁ……ッ♡」
とろっと白い蜜をこぼしながらいまだびくびくと震えるものから最後の残滓を搾り取るように、あたるはゆっくりと手を前後に動かしている。それがたまらなく気持ちよくて、体の奥が切なくて苦しい。やめてほしいのと同じくらい、もっとしてほしいという強い欲求が体を駆け巡って、頭がクラクラしてくる。
くたっと力を抜いて、面堂はあたるにもたれかかった。
「ぁ、もろ、ぼし…」
「うん、イくのきもちいいよな、面堂」
「ふぁ…っ」
耳殻を口に含まれて、肩がびくんと跳ね上がった。熱く湿った舌がちろちろと耳を舐める。ぞわわ、とうなじに鳥肌が立った。気持ちいい。
虚脱していた身体にまた熱が灯り始める。あたるの指が身体の表面をすべる感覚に面堂は意識を向けた。あたるの指先が腰骨の突起をさすり、横にすべってへそを軽くくすぐる。そのまま手のひらで下腹部をゆっくり撫で回す。ただ優しく撫でさすっているだけのはずなのに、ぞくぞくするほど気持ちよくて、下半身、腰の奥がずくりと苦しいほどに疼いた。不意に、ふ、と吐息が耳に吹きかけられ、快感が堪える間もなく上り詰めていく。
「ぁ……っ!♡♡」
面堂はあたるのシャツをぎゅっと握って、かすかに体を震わせる。面堂が軽く達したのを見て、あたるは面堂の耳元で小さく笑った。
「おまえはほんと耳が弱いな〜」
「う、るさい…」
ぴくんぴくんと太腿が痙攣する。ふー、ふー、と乱れた呼吸を必死に整えながら、面堂はあたるの腕の中で身体を満たす快感をやり過ごす。
あたるは白濁に濡れた先端を円を描くようにゆっくりいじめながら、実に楽しそうにくすっと笑った。
「こんな隙だらけのくせにおれに勝てると思っとったのがそもそもの間違いだな」
「やかましいっ、そもそも今日のこれは、ぼくのせいじゃない…!」
面堂は胸元に手を伸ばし、いまだ感覚を蹂躙する呪わしい機械に手をかける。と、あたるの手が伸びてそれを止めた。
「何やっとんじゃ、面堂」
「終わったのだから……もういいだろう、こんなもの!」
振りほどこうとしても、あたるはぐっと手首を握ったまま放さない。
あたるはいつもの気の抜けるほど気楽な笑顔でにっこりした。
「やめていいなんて、一言も言っとらんが?」
「は…?」
固まった面堂の腕を引いて引き寄せ、「負けたほうは、今夜一晩……」と耳許でささやく。面堂は今度こそ完全に凍り付いた。血の気が引いていく。そうだった。そういう約束だった。よりにもよってこの男、面堂を困らせることに無上の喜びを覚える諸星あたるという男に、面堂は自身の生殺与奪の権限をすべて預けてしまったのである。
あたるは面堂の肩に手をかけ面堂をベッドに押し倒す。面堂は青褪めたままあたるを呆然と見上げる。
仮に立場が逆であったなら、この男は躊躇なく約束を放り投げて逃げ出したに違いない。だが、面堂家の次期当主たる自分がそれと同じことをできるかといえば、無論答えは否だった。
あたるはぺろっと自分の唇を軽く舐めて、とん、と面堂の顔の横に手をついた。はぁ、と熱っぽい息をこぼしながら、あたるは今日で一番意地の悪い笑みを浮かべて面堂を見下ろした。
「さ〜〜て……何してもらお〜かな〜、罰ゲーム!」
夜は長いぞ、と笑いを含んだ声が耳打ちする。そう、きっと今夜は長いだろう。この男が持ちかけるような賭けに乗ったことを、面堂は心底後悔した。