Sweet Talk 01
「い〜かげんにしないか!」
ぱしっ、と鉛筆を机に叩きつけるように置いて、面堂は目の前の人間を睨みつけた。
面堂の正面で不貞腐れた顔で頬杖をついているのは諸星あたるだった。
「顔が悪いうえに態度も悪い! つくづくどうしようもない人間だなきさまは!」
「顔が悪いは余計じゃっ!!」
面堂邸本館にある面堂の自室、鏡のように磨き上げられた美しいテーブルを挟んで面堂はあたると向かい合っている。あたるの前には、ノートと筆記用具、それに学校から出された問題集の冊子が乱雑に散らかっていた。
「だいたい、一日かけてど〜して一冊も終わっていない!? 一番多い課題でもこの薄さだぞ!」
数学の問題集をあたるの目前にべしっと叩きつける。あたるは頭の後ろで腕を組んで椅子の背にもたれかかった。
「だ〜って、やる気出ないんだも〜ん!」
「子どもみたいな物言いをするな!」
びーっと舌を出して、あたるはそっぽを向いた。まるで小学生である。
面堂はそれを見ながら深いため息をついた。
そもそもあたるの前に置かれた問題集はすべて、夏休みの課題として生徒に配られたものだった。だが今はすでに二学期、とうの昔に夏休みは終わっている。なのになぜあたるの前にそれがあるのかというと、あたるが夏休みの最終日になっても課題に全く手を付けなかったからだった。
当然友引高校の先生たちは最初の登校日であたるをこっぴどく叱り、「今からでもいいからちゃんと宿題をやれ」とあたるに放課後居残って課題を片づけるように言いつけた。だが、いざ放課後になるとあたるは一目散にとっとと学校から逃げ出したのである。次の日も、そのまた次の日も、あたるは温泉マークの制止や妨害も物ともせず、わずかな隙をついては居残りから逃げ続けた。
そこで友引高校の影の生活指導部メンバーで、なおかつあたるのクラスメイトである面堂に白羽の矢が立った。
「こうなったら頼りになるのはおまえしかいない、諸星のやつをどうにかしてくれ」
先生たちからこんなふうに言われては、模範生徒として断るわけにもいかなかった。
そんなわけで面堂は放課後に逃げ回るあたるを学校中追い回し、あと少しで取り逃しそうになったが、ラムが電撃を食らわせて手伝ってくれたのでどうにか捕まえることはできた。気絶している隙に縄で縛り上げて自家用ヘリに荷物と一緒に積み込んだ。土日の間に泊まり込みであたるに課題を全部やらせて、月曜にはこの一件をスッキリ片付ける算段だった。
友引高校は進学校というわけではないから、そもそも課題の量自体たいして多いわけではない。おまけに面堂はあたるが課題の内容に躓いたら解けるようにアシストするつもりだったから、二日もあれば無理なく終わるはずだった。
そう、課題をやる当の本人に、最低限のやる気があれば、本当に、すぐにでも終わるはずなのだ。
面堂の誤算は、ひとえにそこにあった。
あたるは長い溜息をついて窓の外を見やった。あたるが面堂の部屋に放り込まれたときには燦々と庭を明るく照らしていた太陽は、とっくの昔に地平線のかなたへと沈んでいた。今はただ、銀色の月と優しくまたたく星が夜の帳を飾るばかりである。
「は〜あ、せっかくの週末だというのに、何が悲しゅうて男二人雁首揃えて部屋にこもらなきゃならんのじゃ」
「それはぼくのセリフだ、諸星!」
「おれはガールハントがしたぁ〜〜いっ!!」
「だったら早くやるべきことをやらんか! こっちもいい迷惑なんだぞ!」
するとあたるは頬杖をついて、むすっと唇を尖らせながら面堂を見上げる。
「そんなにおれの世話すんのが嫌なら、おれのことなんかほっときゃいいだろ〜に!」
「別にぼくは……」
面堂の言葉はそこで途切れた。面堂は少しの間目を伏せて黙ってから、そっけなく横を向いてフンと鼻を鳴らす。
「ぼくだってやりたくはないが、先生たちに直々に頼まれたのだ。途中で投げ出すわけにはいかない!」
「おまえほんっと変なとこでクソ真面目だよな〜、生きづらくね〜の?」
「きさまが不真面目すぎるだけだろうがっ!!」
机を両手で突いてがたっと立ち上がった面堂を見て、あたるは楽しそうに笑っている。それを見て面堂はついに刀を抜き放ってあたるの首元に突きつけた。
「のわっ!」
「い〜からとっとと課題をやれっ! 今日こそそれを終わらせろ!」
「しゃ〜ねぇな……」
あたるは「インケン」だの「横暴」だのと失礼極まりないことをぶつぶつぼやきながら、また課題のテキストを開いて目を通し始めた。面堂も、鞘を抱いたまま元通りに座って自分のテキストを開く。そうして自身の予習と復習を進めながら時折顔を上げてあたるの様子を監視する。
かりかり。ことん。かりかり、かさ、かさ。元通りに繰り返されるその音は、はじめこそおとなしかったが、やがてまたため息が混じり、それぞれの音の間隔が間遠になっていく。痺れを切らした面堂は、意を決してふたたび口を開いた。
「諸星、今どこがわからないんだ。特別にこのぼくがきみの著しく低いレベルに合わせて教えてやらんでもないぞ」
あたるはだらしなく机に突っ伏して答えた。
「ぜ〜んぶわからん」
「あのなぁ……!」
面堂はとっさに出かかった悪態をぐっとこらえた。相手にどうしようもなくやる気がないとき、怒れば余計に状況は悪化する。
「いくらきみがアホだと言っても、丸っと全部わからないわけじゃないだろう。絶対に途中で詰まる原因がある、きちんと順序立てて考えていけばかならず――」
「それを考えるのがめんどくさいのだ!」
「それを考えるのが勉強だろ〜が!」
あ、とあたるが小さく声を漏らし、ぱっと身を起こした。干上がった魚のように死んでいた目に、いつものいたずらっぽい輝きが見る見る宿ってくる。
「おれ、い〜いこと思いついちゃった!」
あたるの緩んだ口元を見て、面堂は眉を寄せる。なんとなく嫌な予感がした。
「なあ面堂、おれといまから――」
「ことわる。きみはそんなことより宿題の続きをしろ」
「おのれも少しは話を聞かんかい!」
面堂は小さくため息をつき、鉛筆をもった手で頬杖をついた。
「ど〜せくだらん話だろうが……まぁいい、そこまで言うなら聞いてやる」
「このままダラダラやってたって、おれもおまえもムダな時間過ごすだけだろ。だからさ……」
「自覚があるならとっととやる気を出して――」
「だから最後まで聞けというに!」
あたるはこほんと咳払いをしてから、きらきら輝く目で身を乗り出した。
「であるからには! 面堂、ここで一つおれと課題を賭けて勝負しようではないか!」
あたるは今日で一番活き活きとした様子を見せている。なぜこのやる気を素直に課題に向けてとっとと嫌なことを終わらせようとしないのか、全く理解不能である。
「おれが勝ったら答えを見せてもらお〜か」
「なんでぼくが不正の片棒を担がにゃならんのだ」
面堂は頬杖をついたまま、しらけた顔で言った。
「まあ、無論タダでとは言わない」
あたるは両肘を突いて手のひらに顎を乗せながら、面堂を見上げて微笑んだ。
「おまえがおれに勝ったら、おまえの言うこと何でも聞いてやるよ」
「……きみが?」
「うん!」
面堂は頬杖をやめて姿勢を正し、あたるを見つめた。
「何でも?」
「うん!」
「ふうん……」
面堂は机の下で脚を組んで、それきり口をつぐんだ。ぼんやりと視線を部屋の片隅に投げながら、指先でとんとんと天板を規則正しく叩いている。あたるも微笑んだまま、面堂を見つめて動かなかった。
面堂はちらりとあたるに視線を戻しながら、何気ない調子で尋ねた。
「たとえばだが……ぼくがきみに、とっとと課題を終わらせろとか、いままでの非礼を詫びて土下座しろとか言ったら、きみは本当にやるわけか?」
「そりゃ〜、おまえが勝ったら、な?」
あたるは目を細めて、挑発するような笑みを口の端に浮かべる。
「……」
面堂は唇を引き結び、あたるの微笑みを見返していた。そのまま両者とも動かず、その場にしんと静寂が降りる。
こち、こち、と柱時計が時を刻む音、身じろぎするときのかすかな衣擦れの音だけが聞こえる。
いったいどのくらいそうしていたのか。先に口を開いて沈黙を破ったのは、面堂の方だった。
「……勝負の内容は?」
あたるはにっこりと笑った。