05 Malfunction
「ん……」
瞼を小さく震わせて、面堂はゆっくりと目を開いた。
部屋が明るい。もう、朝らしい。窓の外から、ちゅんちゅんと朝の光を楽しむ雀のさえずりが聞こえてくる。
面堂はその声に耳を傾けながら、なんとはなしに今まで見ていた夢の内容を思い返していた。
「あ、おきた?」
ぼーっとしながら、面堂はのろのろと声の方に目をやる。そこには、ベッドに片肘をついたまま、少し首を傾げてこちらを眺めているあたるの姿があった。
あたるは小さく笑って、柔らかい声で言った。
「おはよう、面堂」
「おはよう……」
面堂はぼんやりしながら目をこすり、返事をする。カーテンはすでに開けられていて外の光が差し込んできている。誰がやったのだろう。ひょっとして先に起きていたらしい諸星だろうか。
諸星。諸星?
「も、諸星っ!?」
そこで一気に目が覚めた。ガバッと身を起こして思わず大きな声を出してしまったが、声はかすれていて、けほけほと咳が出た。
「あー、ほら。水水」
「ん……っ」
あたるはサイドテーブルから水差しを取り、コップに水を注いで面堂に差し出してくる。
面堂はそれを受け取るとすぐに、ごくごくと一気に飲み干す。昨日飲みそこねたのもあって、ずいぶんのどが渇いていたことを感じる。
人心地ついてからコップをサイドテーブルに戻し、面堂はおそるおそる尋ねた。
「きさま、ぼくのこと、ずっと見てたのか……?」
「ずっと、ってほどでもないが……まあ、見てたな。めずらしかったし」
「……っ」
面堂は俯いた。かーっと顔が熱くなってくる。ふだんはタコの散歩のために面堂が先に起きることのほうが圧倒的に多いから、そもそもあたるに寝顔を見られる機会など殆どなかった。
なのによりによって、こんなタイミングで見られるなんて。
「……もろぼし、その」
「ん?」
「ぼくは……へんな寝言を言わなかったか?」
あたるはあぐらをかいたままきょとんと固まった。
「ど〜してそんなことを聞くのだ?」
「いや、それは……」
面堂は口ごもる。頬がますます赤くなってきて、あたると目を合わせられない。
その様子になにかピンときたらしいあたるが、にまりと笑って面堂に身を寄せ、耳元で甘く囁いた。
「どんな夢見てたんだ? おれ、知りたいな〜、面堂」
「ん……っ」
ぴく、と肩が小さく跳ねる。思わず顔を背けようとするが、あたるは面堂を引き寄せて耳に口付けを落とす。
「うあっ……」
「ひょっとして、おれに言いたくないような夢だった?」
「そ、それは……」
あたるは面堂の肩に手をかけてぐっと体重をかけ、面堂を押し倒した。ぽすっと背中がシーツについて、目の前にはあたるの姿だけがある。
「おしえて、面堂」
「……」
面堂はあくまで目をそらしながら、消え入りそうな声で答えた。
「きみの夢を見てた……」
「おれの、どんな夢?」
「きみと……キスする夢……」
あたるは面堂に手を伸ばすと、親指の腹で唇をゆっくりと撫でた。
「キスするだけ?」
「……」
目をそらしたまま、面堂は小さく首を振る。それだけでも恥ずかしくてたまらず、手のひらで顔を覆った。
「もういいだろうっ、こんなどうでもいい話……!」
こういうときはいつもそうなのだが、結局洗いざらいあたるに全部話す羽目になってしまった。こんなこと、あたるには絶対知られたくなかったのに。
「面堂、今日予定ないんだったよな?」
「そうだが……」
なぜそんなことを今聞くんだろうと思いながら頷くと、あたるは面堂の顔から手のひらをそっと引き剥がした。
あたるは面堂を見下ろしながら微笑んでいる。
「いまから、夢の続きしようか」
面堂は固まった。またじわじわと頬が熱くなってくる。
胸が苦しいくらいにどきどきしている。あたるは面堂の頬に手を添えた。そのままゆっくり近づいてくる唇を、面堂は避けなかった。
唇がそっと重なる。
それは、夢よりもずっと熱くて甘い味がした。
「は〜、なんでおれまで……」
ザクザクと雪を踏みしめながら、あたるが大きくため息をついた。
「やかましい、タダ飯にありつきたいなら文句を言わずについてこい」
「散歩っちゅ〜なら、あったか〜い建物の中歩きゃい〜のに……」
ぶつぶつとぼやきながらも、あたるはしっかりと面堂について来ている。外の寒さとタダ飯を天秤にかけた結果、後者が勝ったようである。つくづく食い意地の張った男だ。そんなわけで、あたると面堂は朝食の前に外に散歩に出てきているのだった。
一晩中降り続けた雪は、すっかり庭を白く染め上げていた。今、空はすっかり晴れているから、一面の雪は朝日の光を反射してまぶしく輝いている。部屋から見えるようにきれいに植えられた梅の木々の角ばった枝には雪がつもり、枝垂桜の木は花の代わりに雪を咲かせて輝いている。
今は春に向けて眠っている生け垣の前の花壇も、凍った池の畔も、いまは本当に白一色で、雪にすっかり覆われていた。
「積もったな〜」
「そうだな」
雪の上に足跡を残しながら、面堂とあたるは連れだって庭に伸びた小道の上を歩いていた。本当に、気持ちのいい朝だ、この身を切るような寒ささえどこか心地いい。
面堂はコートのポケットに手を入れたまま、ふと立ち止まる。はあ、と息を吐くと、白い呼気が唇から漏れて、朝の空気に解けて消える。
「めーんどう!」
「ん?」
振り返った瞬間、なにか白いものが顔めがけて勢い良く飛んできた。
「ぶわっ」
「うはははは、クリーンヒット!」
なんだか知らないがとても冷たい。慌てて顔と服から払うとそれは雪だった。あたるはこちらを指差して大笑いしている。
面堂はあたるに向かって怒鳴った。
「いきなり何をするか、この無礼者!」
「こ〜んなにキレイに雪が積もっとるんじゃ、やることと言ったらこれしかあるまい!」
「うわっ!」
またしても雪玉が面堂の顔めがけてまっすぐ飛んでくる。あたるは野球が得意な方だから、きれいなフォームで正確に雪玉を飛ばしてくるので始末が悪い。今度はなんとか避けた、と思ったのだが、足の踏み場が悪かったのか、面堂は足を滑らせてべしゃっと尻餅をついた。
「わーっはははは、転んでやんの〜!!」
あたるは笑い転げてお腹を抱えている。
「き、きさま〜〜〜!!」
面堂は尻餅をついたまま雪をさっと手のひらですくってギュッギュと丸めると、立ち上がりしなにあたるめがけて雪玉を投げつける。あたるはさっと肩をすくめて横に避けた。雪原に落ちた雪玉がぼすっと音を立てる。
「どこ投げてんだ、ぜんぜんかすりもしなかったぞ!」
「うるさいっ! 次こそ当てる!」
「できるもんならやってみやがれ!」
あたるは笑いながらまた雪玉を投げつけてくる。面堂は慌てて屈んだ。間一髪、それは頭上を抜けていった。ついでに面堂はまたギュッと雪玉を作り上げて、たたっと走って距離を取りながらあたるに向かって思い切り投げつける。
「おーっとぉ!」
冬の寒さですっかり葉を落とした桜の木の陰に、あたるはすばやく飛び込んだ。面堂の投げた雪玉は木の幹に当たって、もろく砕ける鈍い音がする。
「ええいかくれるな! 卑怯者め!」
「やかましい! これも戦略じゃい!」
面堂がザクザクと雪を踏みながら走っていくとあたるは器用に面堂の反対側へと回って逃げていく。そして隣の木へと逃げていくあたるの背中に今度こそ当てたと思ったのだが、あたるはざざっと木の陰に滑り込んでぎりぎりで避けてしまった。
あたるがひょこっと幹から顔を出して面堂に向かって舌を出す。
「や〜いへたくそ〜〜!」
「お、おのれ〜〜〜!!」
面堂はムキになってまた雪玉を作り始める。何度も雪を握ったせいで、手がかじかんできた。だがやめる気にはならなかった。こうなったらあたるにも雪玉を当ててやらないと気が済まない。
「逃げるな、神妙にしろ!」
「言うとおりにするアホがどこにいるか!」
そこであたるの狙いはなぜか大きく外れた。振りかぶった腕から放たれた雪の玉は、面堂のはるか頭上を目指して飛んでいく。
「どーした、どこを狙っているのだ!」
面堂はせせら笑いを浮かべるが、あたるはそれでも楽しそうにニコニコと笑っている。と、ボスっと頭上で何かに当たる音がしたと思った途端、枝が揺れてそこに積もっていた結構な厚みの雪が一気になだれ落ちてきた。
「どわーっ!?」
ばさばさ……と落下してきた雪にまみれて、面堂は全身が真っ白になる。あたるはいよいよ笑い転げていて、うずくまって膝を叩いていた。
「ふ……」
面堂は薄く笑って、ぱさぱさと髪や肩から雪を払い落とす。それからどこからともなく鞘を取り出して、刀をゆっくりと抜き放った。
「お、おい、そりゃ反則……」
「ふっふっふ、諸星ぃ〜……」
刀は朝日の光を浴びてきらりと眩しく輝く。そうだ、最初からこうすればよかったのだ。今日こそこの無礼で卑怯でアホづらの貧乏人とさよならする絶好の機会だと、この美しい朝の光景が教えてくれている。
あたるは笑みを引きつらせて、雪玉を持ったままそろそろと後ろに下がり始める。そして面堂はそのぶんゆっくりと距離を詰めていく。
「落ち着け面堂。はなしあおう……」
「諸星、覚悟〜〜〜ッ!!」
「うわわっ!」
あたるは慌てて雪玉を投げつけてくる。顔に向かって飛んできた雪玉を、面堂は走りながら刀を閃かせ、すぱっと二つに切り捨てた。
「ずるいだろ、それは!」
「やかましい、そこになおれ、手打ちにしてくれる!」
そして二人は、キラキラ輝く白い雪を蹴り上げながら、真っ白い庭の中を全速力で走り始めた。
こうして始まったこの日の二人の戦いは、サングラス部隊の一人が「朝食ができましたよ」と声をかけに来るまで、飽きもせずにずうっと続いたのである。