きらい、すき
今日は忙しい。というのが面堂の答えだった。
「え〜」と不満げに声を上げてみても面堂の態度は少しも和らがず、相変わらず机の上の問題集から目を離さなかった。今日は本当にその気がないらしい。
星の綺麗な夜だった。今夜は珍しくラムが家にはいない。宇宙船の調子が少し悪いようで、基幹システムの点検をするのだという。テンもラムについていったから、今夜のあたるは昔と同じように一人で、要するにすこぶる暇だったのだ。
だからこうしてわざわざ面堂の部屋まで忍び込んで来てやったというのに、肝心の面堂の態度がこれである。まあ、こういう態度を取られる心当たりはあるといえばあった。昨日、またしてもあたるのせいで午後の授業を受けられないまま早退することになったから、真面目な面堂はそのぶんの遅れを取り戻そうとしているのだろうし、更に言うなら、まだあたるに少し怒っているのだろう。
最初こそおとなしく面堂のふかふかの大きなソファで漫画を読もうとしたが、すぐに脇に放った。漫画を読むだけなら家でも出来る、こんなことをしにわざわざ夜道を歩いて来たわけではない。
あたるはソファにうつ伏せに寝そべりながら、面堂の背中に向かって騒いだ。
「暇なんだよ、いいではないかちょっとくらい! べんきょーなんか今日じゃなくたってできるだろ!」
「あ〜も〜うるさいなあ〜!」
鉛筆を机の上に転がして、ようやく面堂はあたるの方を振り返った。
「何度も言わせるな、今日はきさまにかまってやる暇などない!」
「おれと話してる暇ならあるではないか!」
「きさまがうるさくするからだ!! まったくっ、気が散って勉強にならん! もういいから帰れ!」
あたるは寝そべったままむすっとして頬杖を突く。だが、こうして延々と言い合ったところで面堂の気分が変わるとも思えない。だったら……。
あたるは身を起こしてあぐらをかき、面堂に向かって人差し指をぴっと立ててみせた。
「じゃ、キス一回。そしたら帰ってもいーよ!」
「なぜぼくがきみに譲歩せねばならんのだ!」
面堂は呆れたようにそう言って、「さっさと帰れ」と手で追い払う仕草をする。あたるはぱたっとソファにもたれながら、唇をかすかに尖らせた。
「べつにセックスしよ〜などと言っとるわけじゃないのに……」
「こっ、言葉を慎まんか!」
「ふん、言い換えたところでやってることは変わらんだろーが?」
あたるはソファの上でだらしなくくつろぎながら「けちんぼ! 女たらし! あほ!」と好き放題言い始める。
面堂ががたっと椅子から立ち上がった。
「この無礼者! きさまにだけはアホなどと言われとうないわ!!」
「お〜っと、やっとこっち来たな、面堂!」
振り下ろされた刀をぎりぎりと両手で受けながら、あたるは面堂を見上げてにやりと笑う。
「たかだかキス一回だろ、そんなに嫌なのか?」
「別にそんなことは言っとらんっ、ただきさまが――」
「こ〜やっておれとグダグダやってる時間で、キスの一回や二回すぐ済むのにな〜」
「……それは、そうだが」
あたるを見下ろす面堂の瞳に少し迷いが生まれたのが見て取れた。こうなれば、あともう一押し。あたるは面堂の目を覗き込むようにしながら、少し首を傾げて甘えた声を出す。
「なあ、いいだろ? おねがい、面堂……」
「っ……!」
刀の柄が揺れる。面堂の頬はぱっと火がついたように赤くなった。あたるはここを逃さず、さらにすがるような目で面堂を見つめる。
面堂は頬を赤くしたまましばらくあたるを睨んでいたが、やがて腕から力を抜いて、刀を引っ込める。鞘に刀を収め、あたるの隣りに腰を下ろした面堂は、そっぽを向きながら仕方なさそうに口を開いた。
「……一回だけだからな?」
「うん!」
「他には何もしないからな。終わったら速やかに帰れよ。キスの後、とっとと帰らないようならぼくにも考えが――」
「あ〜も〜くどくどと!! い〜から腹くくれ、このアホ!」
「わっ……」
ごちゃごちゃうるさい面堂の襟元を掴んで、ぐっと引き寄せる。そのまま後頭部に手を回して、あたるはようやく面堂と唇を重ねた。
軽くついばむように、ちゅ、ちゅ、と音を立て、何度も角度を変えながら面堂の唇を味わっていく。そのうちに、おそらく無意識なのだろうが、面堂の唇が薄く開いた。その合間にぬるっと舌を差し入れる。面堂の背筋がかすかに震えた。
たしかに、キス一回、とは言ったが、その一回を軽く終わらせてやるとは言わなかった。少しためらうような動きを見せる舌に、あたるは遠慮なく自身のものを絡めた。あたるの背に回された面堂の手が、あたるのシャツをぎゅっと掴む。こちらにすがるようなその仕草に、あたるはぞくっとした。
「っは……」
息継ぎのために少しだけ唇を離しては、面堂が逃げる前に引き寄せ、ふたたび唇を重ねた。ちゅくちゅくと面堂の口の中を舐めて犯して、ぴく、とかすかに強張る身体を押さえて舌を吸い上げる。舌の裏側を丁寧に舐めてなぞっていると、ある瞬間を境に面堂の身体から力がふっと抜けた。そのまま体重をかければ、苦労せずとも押し倒せた。
「んっ……、ん…!」
面堂が焦ったように震える手で押し返そうとしてくるが、指を重ねてそれも難なく押さえ込む。脚の間にぐっと膝を割り込ませると、甘い声が鼻から抜けた。
「んぅ…っ、んむ、ん……っ」
ぴちゃ、くちゅ、と音を立てて舌が絡み合う。ぴくっと面堂の太腿が小さく跳ねるたびに、重ねた指にもかすかに力が入った。
「っふ…、〜〜…ッ」
しばらくすると、面堂の抵抗は完全にキスの熱の中に溶けて消えて、あたるは好きなだけ時間をかけて面堂とのキスを味わい、甘い反応を楽しんだ。
最後にぺろっと唇を舐めて、あたるは面堂の耳元に唇を寄せる。
「ごちそーさま、面堂」
「…っあ…!」
耳元でささやいた瞬間、面堂の身体がびくっと跳ねた。
「……もろぼ、し」
「きもちよかった?」
「ん……」
面堂は、あたるの背中に手を回しながら、小さく頷いた。
面堂の顎に指を添えて上を向かせる。面堂はおとなしくそれを受け入れて、あたるを見つめた。とろとろと、甘い期待に潤んだ瞳と、物欲しげに薄く開かれた唇を、あたるはじっくり眺める。指先で濡れた唇にそっと触れてなぞると、潤んだ瞳は切なげに細められた。あたるはゆっくりと顔を近付けて、唇が触れるか触れないかの距離で口を開いた。
「んじゃ〜そろそろお暇すっかな」
「……え?」
ついっと面堂の身体を押して離れ、あたるは立ち上がりながらにやっと笑った。
「とっとと帰ってほしいんだろ? じゃましちゃ悪いからな〜」
「…………」
面堂は身を起こし、口を半開きにしたまま黙り込んだ。このまぬけづらを見られただけでも今日来たかいがあった。満足行くまでそれを眺めてから、面堂に背を向け、床に落ちている鞄を拾い上げる。
ぐっと裾を引かれた瞬間、思わず口もとが緩んだ。
「こんな……こんなの、きみは、本当に卑怯だ……っ」
振り返れば、頬を真っ赤にした面堂が、実に悔しそうな顔であたるの上着の裾を掴んでいた。
「そーだな、おれは卑怯者だよ」
「ぼくは……きみのそういうところが、きらいだ……」
「知ってる」
あたるは鞄をまた床に落として、ソファに戻り、面堂の上に覆いかぶさるように座る。頬に手を伸ばしても、面堂は抵抗しなかった。すり、と優しく頬を撫でて、息がかかる距離まで顔を近づけた。
「いい?」
面堂はするっとあたるの背に腕を回す。
そして、甘さを含んだ声が答えた。
「好きにすればいい」