03 いつもどおり
数日後のことだった。
休み時間になって、先生の姿がすっかり見えなくなった頃合いに、同級生のひとりがあたるを手招きした。
「おい、あたる、おまえも来いよ」
男子ばかりが一つの机に群がって全員がニヤニヤしているなら、そこから推測できるものは明白である。あたるはにんまりと笑ってすぐに呼びかけの方にすっ飛んでいった。
「どんなの?」
「まあ見てみなって」
思った通り、彼らが囲っていたのはいわゆる成人向けに分類されるはずの雑誌だった。四方から突き刺さる女子からの軽蔑の眼差しも、目の前の刺激的な写真を拝む代償と思えば安いものである。
艶めかしい肢体を惜しみなくカメラの前に晒し、扇情的な表情を浮かべている女性たち。年齢や顔立ちは様々だが、肉感的なからだつきをしていることだけは全員共通している。怪しい色合いのホテルのベッド、退廃的な病院廃墟、意味深に家庭的なアパートの一室など、シチュエーションも色々である。
あたるは勿論その雑誌を楽しんでいた。が、他の仲間と同じくらい真剣に眺めていたとまでは言い難い。あたるは彼女たちの姿を見つめながら、ぼんやりとあの一週間のことを思い出していたからだ。
こうして他の子も見ると、やっぱり面堂のやつってスタイル良かったんだなあ、とあたるは改めて思っていた。巨乳推しの女の子たちと比べても、それほど差があるようには感じないのだ。それに面堂は身長が高く手足もすらりと伸びていたので、海外のお洒落な雑誌のモデルのようだった。痩身にほどよくついた筋肉が、引き絞った健康的な陰影を身体に与え、何とも言えない色気があった。
ただし男の情欲をそそる類いの色気に関しては、雑誌の女性たちのほうが圧倒的に上だ。比べることすら失礼かもしれない、そんなふうに思うほど。
面堂はいくら見た目が可愛い女の子になっても、やはり本質的には男だったとしか言いようがない。言動も仕草も歩き方も立ち居振る舞いも、それどころか表情一つ取ってもそこには女らしさなどなかった。たとえ面堂が何らかの要因で男に戻れなかったとしても、いま写真の女性が浮かべている媚笑なんか一生掛かったって会得できなかったはずだ。
「……あたるはどうよ、どっちだと思う?」
「え?」
あたるは面食らって顔をあげる。全く聞いていなかったが、他の面々は何やらずっと議論していたようだ。一人がぱらぱらとページをめくって二人の女性を指した。
「だから、この二人ならどっちが咥えるの上手いと思う?」
検証する機会が一切ないことを考えるとなんとも不毛な議論である。だがそういうくだらない議論こそ、若者は夢中になって言い争うものだ。あたるは「おれは最初の黒髪ロングの子かな」と軽い気持ちで言ったが、反対勢力から散々どやされることになった。
そんな調子で休み時間を過ごしていたが、ふとした瞬間にしのぶの声が耳に入った。
「へえ〜、面堂くん、真吾くんの勉強見てあげてるんだ!」
顔を向けると、しのぶは数人の女子と一緒に面堂の机の前に立っていた。あたるの位置からだと、座って彼女たちを見上げている面堂の横顔が見える。前に開かれた冊子は、小学生向けの国語の問題集のようだった。つたない走り書きで書かれた回答と、赤ペンで採点する面堂の几帳面な筆跡がなんともミスマッチだ。
「真吾くんって?」
「ぼくのお付きの御庭番です。時々校内で忍者みたいな黒装束の男を見たことがありませんか?」
「ああ、あの人!」
そしてしのぶの隣の女子が「御庭番ってなに?」と今度は尋ねたので、面堂は代々続く面堂家当主とその密偵である御庭番との緊密な主従関係についての歴史を簡単に話した。そして真吾の特殊な生い立ちについても。
聞き終わった女子は、「ジャングル・ブックみたいな話ね」とびっくりしている。
「でもちょっと意外ね〜、あの真吾くんが面堂くんと一緒に勉強するなんて」
「やっぱりそう思いますよね……」
しみじみと言うしのぶに向かって、面堂は苦笑した。
「ちゃんとした家庭教師を付けようと思っても、真吾は勉強が嫌いなのですぐ逃げ出してしまって。そうなるともう、ぼくか彼の祖父である菜造じいにしか手に負えないんですよ。菜造じいはもう高齢で色んな記憶があやふやなので、消去法でぼくがやっているというわけです」
普段の様子を見ていると、そう言う面堂でも相当手を焼いているように思うが、あれでもまだマシな方ということらしい。
「これも本当は昨日のうちに見てやろうと思っていたんですが……」
そこで面堂はふと問題集に視線を落とした。手は完全に止まっているから、採点の続きを始めたわけではないだろう。どこか途方に暮れたように口ごもり、少し言葉を探している。
「なんというか……昨日は、それどころではなくなって……」
あたるはついに好奇心を抑えられなくなった。真吾と面堂のあいだに起きるトラブルはほとんどそのまま学校ないしはあたるの友人関係にも影響してくるので、何が起きたか知っておいて損はない。雑誌を囲む集団からするりと抜けると面堂に近づき、机に置かれた問題集を横からさらって面堂の顔を覗き込んだ。
「ってことは、またあいつと何か揉めたわけか?」
「も、諸星……」
きっと怒ってすぐに取り返そうとしてくると思い身構えていたのだが、なぜか面堂はあたるを見るなりぎくりと肩を強張らせ、そのままじっとこちらを見つめている。
仮に五月人形がいきなり動いて襲ってきたらあたるもこんな顔で凍りつくかもしれないが、今面堂があたるを見てそういう反応をする理由が全くわからない。
「……? なんだよ、怒らねーの?」
「え?」
ちょっと困りながらおずおずと尋ねると、ようやく面堂はあたるの手にある問題集に目を向けた。
「あ……」
言われてやっと気付いたとでもいうような声を漏らす面堂に、あたるはいよいよ当惑し、真剣な声で言った。
「面堂、なんか悪いもんでも食ったんじゃないのか」
「きさまと一緒にするなっ!!」
面堂はあたるの手から問題集を引ったくった。
「だいたい、ぼくの神経はきみたち庶民と違って繊細にできているんだ。たまには調子の悪いときだってあるさ」
気取ってそんなことを言う面堂を無視して、あたるは近くの席の男子生徒に話を振った。
「面堂の神経が繊細だなんて知ってたか?」
「いや、初耳だな」
「無神経の間違いじゃないのか?」
「おのれらは~~!!」
「おっ、なんだ面堂、やる気か?」
面堂の手に握られた刀を見て、あたるは口の端を持ち上げて笑う。
「そんななまくら振り回されても怖くもなんともないっつーのに!」
「ふっ……ぼくの刀がなまくらかどうか、その身で確かめてみるか?」
「そいつは遠慮願いたいが……」
面堂は刀を構えながらじりじりと迫ってくる。あたるは面堂の背後を覗き込んで、廊下の方を大げさに指さした。
「ややっ、あの人影はサクラさんでは!」
「えっ?」
つられて振り返った面堂の頭に、あたるはすかさずハンマーをみしりと振り下ろした。
「いや見間違いだったようだ。悪いな面堂」
「わ……わざとだろ~が、この卑怯者!」
「こんなのに引っかかる方も引っかかる方だよな~」
さきほどの男子生徒が呆れてつぶやくが、面堂は聞いていなかった。脇を抜けて廊下に逃げたあたるを追うことに真剣になっていたからだった。
「待たんか諸星!」
面堂をからかうのはやっぱり面白いと思う。ちょっとおちょくるだけですぐムキになって、そのくせ脇が甘いから簡単に出し抜くことができる。だからいつもちょっかいを出したくなる。どんな反応をするのか見たくなる。無茶を強いても面堂なら音を上げることはないから、面堂が相手なら気兼ねなく何でも出来た。
「こらっ、自分から喧嘩売っといて逃げるんじゃない!」
「それもそ~か」
「えっ」
あたるは立ち止まってさっと横に退いた。そして突然のことに勢いを殺せず突っ込んでくる面堂に足を素早くひっかける。面堂は見ていて気持ちいくらいに見事に引っかかって顔から床に突っ込んで転んだ。
「わははは、かっこわりい~!」
「くっ……きさまという男はぁ~!!」
面堂はがばっとすぐに身を起こす。派手に転んでもまったくこたえていない。
あたると面堂の関係は今でもどう形容していいかわからないねじれたものではあるが、あたるはこの関係を気に入っている。今ではどんな同性の友人よりも面堂はあたるの日常に溶け込んでいた。面堂がいつもあたるの目の届くところにいるのも、毎日の出来事を共有するのも、考えるまでもないくらい当然のことになっていた。
「こ~なったら絶対許さん、たたっ斬る!!」
「ふっ、最初っから許してもらお~なんざ思っとらんわ!」
そしてそれは、あたるが望もうと望むまいと、これから先もずっと続いていく。
変わらないものなどこの世にはないなんて、そんなの自分たちには関係のないことだと、あたるはこの日、確かにそう信じていた。