02 違和感
あたるは、首筋できらりと光る銀色の刃を恨めしく睨んだ。
「勝負あり、だな」
「ぐぬぬ……」
今日も面堂と言い争いになった。ついさっきのことなのに、きっかけが何だったのかは思い出せない。それくらいどうでもいいことから喧嘩は始まった。
流れ自体はいつものとおりだ。まずあたるが不意打ちでハンマーを振り下ろして先制し、怒って刀を振り回す面堂からひょいひょい逃げ回って、最後にはいつものように刀を挟んで睨み合った。
そして、なんだかわからないが、気が付けばあたるはそこでかくんと膝を折って床にへたりこんで、首元には面堂の刀があった。
要するに、また負けた。面堂なんかに。
面堂は勝った割にあんまり嬉しくなさそうな顔をしていた。勝ち誇られても勿論腹が立つが、これはこれでムカつくものがある。面堂は刀を鞘に収めながら、何か言いたそうな顔であたるを見下ろした。あたるは面堂を睨み返す。
「なんだよ?」
面堂は、少し迷うような間をおいてから口を開いた。
「諸星……一度、病院で診てもらったらどうだ?」
「どういう意味じゃ、きさまっ!!」
「わからんのか? きみは、近ごろど〜も変だぞ。熱があるにしては期間が長すぎるし……」
「どこが変なのだ、いつもどおりだろ!」
すると面堂はしゃがんであたると目線を合わせ、聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で言った。
「ぼくが言うのもなんだが、きみが今週こうして尻餅をつくのは何度目だと思う?」
あたるはぐっと言葉に詰まった。そのままふいっとそっぽを向くと、面堂がこれみよがしに溜め息をつく。
すぐ近くでいつもの喧嘩を見守っていたラムが、ふわりとあたるの隣に降り立った。
「ダーリン、病気なの? なら、うちが診断ロボットを作ってあげるっちゃ!」
そしてやる気に満ちた笑顔でそんなことを言い出した。あたるは大急ぎで首を振る。
「やだ!! 絶対にお断りだ! おまえの作る機械なんか、どーせろくなことにならんだろ!」
「痩せ我慢は体に毒だっちゃ!」
「とゆーか、そもそもおれはどこも悪くないのっ!!」
「診てもらえばいいではないか、諸星。ラムさんの星の科学力をもってすれば原因もすぐわかるだろう」
「面堂、てめ〜他人事だと思って……」
「他人事だろう、どう見ても!」
面堂は涼しい顔できっぱりと言った。そして残念だがそのとおりなので返す言葉もない。そうこうするうちにチャイムが鳴った。あたるは席に戻りながら、ラムにもう一度釘を刺した。
「ラム、とにかく機械は要らん! 余計なお世話だ!」
「も〜、そんなに言うなら仕方ないっちゃね〜」
頼りになるのに~、とラムは不満そうである。だが、ラムの出してくる地球外製品が想定通りの働きをすることのほうが少ないのだから、保身のためにも譲るわけには行かない。
喧嘩に巻き込まれないように端に寄っていた机たちがガタガタ音を立てながら元の位置に戻っていく。移動が終わる頃には先生が教室に姿を見せた。
「今日は教科書の八十二ページからです。前回指名されてた人は、黒板に式と答えを書いてね」
それを合図に数名が立ち上がって黒板に向かう。彼らが答えを書いているうちに、先生は前回の授業のおさらいをしている。
そのうちのひとりは面堂で、姿勢よく立ちながら、チョークをするすると迷いなく動かしている。嫌味なくらいきれいな字と、無駄のない回答だ。
その背中を恨みがましく睨んでから、あたるは教科書の陰で小さくため息をついた。
最近どうも調子が悪い。
なんだかわからないが、白刃取りで面堂に勝てなくなった。もちろん他の勝負だったらそんなことはない。かわいい女の子に駆け寄るのはいつだってあたるのほうが速いし、逃げ足で面堂に負けたこともない。油断している面堂にハンマーで一撃加えるのだって、今まで通りにできている。
なのに今のあたるは、白刃取りだけはどうしても面堂に勝てないのだった。
試験の点数ならいざしらず、それ以外のことで面堂に負けるなんて。筆舌に尽くしがたいほど悔しいし、どうしても納得いかない。
いったい何が原因なんだろう。
授業の間中、あたるは考えていた。お弁当のおかずをつまむことなく、漫画を読むことすらなく、チャイムが鳴るその瞬間までひたすら考え続けた。それでも必勝法や対策は何も浮かばなかった。無念の思いでいっぱいになりながらあたるは机に突っ伏して大きなため息をついた。
「あたる、い〜かげんにしろよ!」
隣の席からコースケの苦情が飛んできて、あたるは仕方なく少し顔を上げる。
「朝からうっと〜しい! おまえがそんなだとこっちも気が散るんだよ。おまえの唯一誇れる取り柄は、底抜けの図太さくらいだろ~が」
「失礼な! 女の子の連絡先を聞きだすのだっておれの得意技だ!」
「ま~下手な鉄砲だって数撃ちゃいつかは当たるからな……」
コースケはにやっと笑って付け加える。
「それも今となっちゃ、面堂の方がおまえより連絡先控えてるかもしれないぜ」
今一番聞きたくない名前がコースケの口から出た瞬間、ぴくりと肩が跳ねた。面堂なんかにそんな反応をした自分にますます嫌気が差してくる。あたるは手元のノートをひっつかむと、しつこい虫を追い払うようにぶんぶん振った。
「え~いうるさいうるさい!」
「ほんとのこと言って何が悪いんだ」
コースケは肩を後ろに引いて闇雲に振り回されるノートを避ける。
「だいたいおまえ、柄にもなく何をそんなに悩んでんだ?」
「……」
あたるは机に頬を預けながらコースケを見上げる。それからまたため息をついた。
「言いたくない……」
「ほ〜」
コースケはわざとらしく身を乗り出すと、しげしげとあたるを眺めてみせた。
「おまえがそんな思春期の繊細な青少年みたいなことをほざくなんて、地球は明日滅びるかもしれんな!」
「コースケ、い~かげん怒るぞおれも」
上体を起こし、頬杖を突きながらジト目で睨むと、コースケは笑った。
「ま〜何にせよ、あんまり思いつめるなよ、あたる。おまえほどそ〜ゆ〜こと向いてないやつもいないからな」
「言われんでもわかっとる!」
だが、どんなにあたるが考えまいとしても男子の黒い学ランのなかに混じる白い長身はどうしたって目立つ、嫌でも目につくのだ。今もそうだった。
あたるは椅子の背に深くもたれかかって腕を組む。そうして教卓の近くで女の子に愛想を振りまいている面堂を睨みながら、初めと同じ疑問に立ち戻っていた。
いったい何が原因なんだろう。
あの男の目を見ているといつの間にか周りのことも自分のことも霧がかかったように霞んでいって、何もかも忘れてぼんやりと見入ってしまう。そして気が付いたら尻餅をついている。面堂は怪訝な顔で刀を戻す。手を抜いているのかと疑われるが決してそんなことはない。あんなやつに膝を屈するなど屈辱の極みだ。だから次こそ完膚無きまでにのしてやろうと心に決めるのだが、いざそのときになるとまた同じことを繰り返してしまう。
そうして面堂を遠巻きに見ていて、あたるは突然あることに気づいた。あまりに驚いたので、思わずコースケにその発見を話してしまった。
「面堂ってさあ」
「うん?」
「あいつ……顔が良いんだな」
「はあ〜?」
コースケが素っ頓狂な声を上げ、それから呆れた顔をする。
「今更何言ってんだよ。本人も今まで散々顔が良いと豪語してきただろ~が」
「そーだっけ?」
「いや、あたる……おまえほんっとーに大丈夫か?」
「う〜〜ん……?」
あたるは首を傾げる。
なぜ、面堂の顔がいいと白刃取りのときに面堂に力負けするんだろうか。全くわからない。