04 帰り道
放課後、鞄を掴んで帰ろうとしたときに、メガネに声をかけられた。
「あたる、ちょい待て」
「ん?」
「ほれ、いいからこっち来い」
チビやカクガリたちも揃って手招きしている。ということは大方ラムに関することだろう。本人に聞かれるとなにかと不都合があるかもしれないので、少し待っているように頼み、あたるは彼らに近寄った。
「今度は何がのぞみだ?」
「まあひとまず聞け」
メガネは手短にあたるに用件を告げた。
「なるほどな? 協力するかはそっちの出せる見返り次第だが……」
「その点抜かりはない」
メガネはあたるを手招きすると、ぼそぼそ耳打ちした。
「……なにいっ、本気か!?」
思わず大声を出すと、彼らは揃ってシーッと唇の前に指を立てた。
「おっと」
あたるは手のひらで口許を覆った。メガネの言うとおり、まだ教室に残っていた同級生が目を丸くしてこちらに注目していた。幸い、彼らが声を潜めると、すぐに興味を失っていった。それを確認してからメガネはまたあたるにひそひそと言った。
「おまえが条件を呑むなら、の話だぞ」
「取引成立!」
一切の迷いなくすぐさま快諾すると、メガネたちもにんまりと笑う。
「うむ! じゃ、今度の日曜だぞ。ゆめ忘れるなよ!」
あたるはにっこり笑い返して、メガネと握手を交わした。
「じゃ、前金の品をいただこうか」
「よし。残りは約束を果たしたあとに」
メガネは鞄から黒いビニールに包まれたブツをあたるに手渡した。
「ダーリン、それなーに?」
「わーっ!!」
出し抜けにひょっこり顔を出したラムに、全員がぎょっとして仰け反った。がったんと椅子をなぎ倒しながら黒いビニールを背中に隠す。
ラムは首を傾げた。
「へんなの。そんなにあわてて……」
「べっ、べつに何もおかしなことはないっ。い~から、とっとと帰るぞ!」
「うん!」
幸い、ラムの関心はあたると一緒に帰ることの方に移ったので、それ以上ごまかす必要はなかった。ほっとしながら鞄を閉めて、肩に担ぎ上げる。
そこで、視線を感じてあたるは顔を上げた。見えない線を辿るように顔を向けると、少し離れたところに面堂が立っている。面堂はどこか呆れた顔であたるたちを眺めていたのだ。
あたるは、その表情にムッとした。
面堂を睨みつけながら、びーっと舌を出してみせる。この安い挑発に面堂は乗ってくるはずだ。何度繰り返したって面堂はあたるから売られた喧嘩を買わずにはいられないし、あたるもそうだった。
面堂はあたるからふっと視線を外して肩をすくめた。
面堂が見せた反応は、それだけだった。
(……あれ?)
あたるはきょとんと目を丸くしてまばたきする。
「ダーリン、いこ!」
ラムはカバンの持ち手に両手を添えて、ふわりと浮き上がる。
「そーだな」
ま、いいか、どーだって。
あたるは少しずれた鞄の位置を直しながら、口許に手のひらを当てて大きく欠伸をする。昨日もラムと花札をしていたらいつものように明け方になっていて、ろくろく寝ていない。早く帰って昼寝しよう、いやその前に商店街でたい焼きでも買っていくべきか……。
あたるの頭はその重大な選択にかかりっきりになったので、直前の小さな出来事など綺麗さっぱり忘れてしまった。
放課後の道を、ラムと二人で歩いていく。たなびく雲を茜色に染める夕焼け空も、その裾はすでに青い夜の色に変わり始めていた。まぶしく輝く夕日にあたるは目を細める。ちょっと前までなら、今の時間でもあたりはかなり暗かった。ずいぶん日が長くなってきたものだ。
今日の夕飯はなんだろう。エビフライだといいなあ、なんて考える。諸星家の食卓に供されるエビフライは小さくて数もそんなに多くはないけれど、それでもエビフライには変わりない。
「今日も学校おもしろかったっちゃ~」
道すがら、ラムがそんなことをいうので、あたるは聞えよがしにため息をついた。
「おまえの感覚は時々ホントわからん。ただ朝早く起きておとなしく座って将来役に立つのかもわからんことを念仏みたいに聞かせられるばっかだろ。休み時間ならともかく、何がそんなに面白いのだ?」
「全部おもしろいっちゃ!」
ラムはにこっと笑いながら迷いなく言った。
「先生たちのおはなしも、ダーリンと食べるおひるごはんも、みんなでする教室の掃除も、それから……」
ラムが上げる事柄は、あたるにとってはすべてが愚にもつかない退屈な日常だった。なのにラムは、その一つ一つがきらきら光る宝石でもあるかのように、いとおしそうに話すのだった。やっぱり、よくわからん感覚だな、とあたるは思った。
「うち、最初はしのぶのことが嫌いだったっちゃ。でも、今はそ〜でもなくって……うちとダーリンと、しのぶと終太郎、いまは竜之介もいて……みんなで遊びに行くのも良いなって思うようになってきて」
ラムは空を見上げながら、ふふっと笑う。
「メガネさんたちも、四組のみんなも、先生たちも町の人たちも、いい人ばっかりで、うち、みんながとっても好きだっちゃ」
ラムはふわりと浮き上がった。黄昏時の金色の光がラムの髪に当たって、きらきらと光る。その光の中で、ラムはあたるに向かってにっこりと笑った。
「うち、地球に来てよかった。毎日すごく楽しいっちゃ!」
あたるは、ふん、と鼻を鳴らして渋い顔をしてみせる。
「おまえは良くっても、こっちは毎日大変じゃ。わけの分からん連中に絡まれるわ、ガールハントも邪魔されるわ、ロクな目に遭わん!」
努めてすげない態度になるよう心掛けたのに、ラムは相変わらず優しい顔で微笑んでいる。
「ダーリンだって、毎日とっても楽しそうだっちゃ」
「……」
あたるは何も言わずにラムの顔を見返してから、そっぽを向いて足を早める。
ラムが傍を飛びながらいたずらっぽい声で言った。
「照れてるっちゃ?」
「んなわけあるか、アホ!」
あくまでラムから顔をそらし続けてすたすた歩いていく。隣りで飛ぶラムが、鈴を転がすように笑っているが、あたるはとりあえず聞かなかったことにした。ラムの方も、それ以上あたるをつつくことなく、「今年の夏こそテンちゃんに泳ぎの特訓してあげないと……」となにか考えている。ラムの考える特訓がフツーであるはずがないので、できるなら巻き込まれたくはない。が、きっとまたあたるも否応なく巻き込まれるのだろう。いつだってそうなのだ、ラムが来てからは。
確かに、今のあたるの世界は前とは大きく変わった。
ラムがいて、しのぶと、面堂と、竜之助に、テンや、サクラや、錯乱坊もいて。他にも数え切れないほど、色んな人達と出会ってきた。以前と比べると、あたるの周りはずいぶんと賑やかになったものだ。
あたるは歩きながら、夕陽に染まる道に長く伸びる二つの影を、あいかわらず顔を背けたまま見つめる。
今、終わりなく続くこの騒がしい日常が、嫌いじゃない、なんて。そんなこと、ラムには絶対言うつもりはないのだ。