17 おねがい
「いい加減にしろっ、諸星!」
くったりとベッドの上で動かないでいた面堂に手を伸ばして戯れ始めたら、面堂はその手を払い除けてあたるを咎めた。
「これでもう三回目だぞ!」
あのあと、二人はまた面堂家所有の家に忍び込むことにした。そして、確かに今からするセックスも数えるならもう三度目になるのだった。
一度目のセックスは何もかも性急でかなり激しかった。性的興奮が高まったところで突然お預けを食ったのが原因だ。学校からここに向かう途中も二人は一言も喋らなかった。早足で、知り合いを避けながらなるべく最短の道を選び、ただ歩き続けた。玄関の扉を開いてするりと入り込み、扉が閉まるやいなやあたるは面堂の胸倉を掴んでキスをした。
前戯はしなかった。面堂に服を脱ぐ暇さえ与えず押し倒し、すぐスカートの下に手を触れた。このままやったらしわになる、と言って嫌がる面堂を押さえ込み、中をかき回してあたるを受け入れるための下地を作る。ほとんど時間はかからなかった。そして今日鬱積した欲求不満を一気に晴らそうとするように、あたるは飢えた獣のやり方で面堂を犯した。
二度目。一度目のセックスを終えて、まだ息も整わぬまま放心している面堂の服を、あたるは脱がせ始める。スカートのホックを外して脚から引き抜いたとき、ようやく面堂は正気づいてあたるに目を向け、それから不機嫌に目を細めて「最初からそうしろ」と毒づいた。そしてそんな顔をする割に、面堂は自分も身を起こしてあたるのシャツのボタンに触れ、するすると外し始めるのだった。
今度は急いだりせずに、面堂の身体を隅までゆっくり味わった。それも、渋る面堂を「これで最後だから」と宥めすかし説き伏せて、好きなやり方で面堂の身体を弄んだ。仮に後でこのときの話を面堂に振ったとしたら真っ赤になって黙り込むであろうことをあたるは面堂にしたし、面堂にもしてもらった。おそらくお互いに墓場まで持っていく秘密になるだろう。特にあたるの場合、面堂に気のある女子や手紙を出した男子生徒に知られたらそのまま首を絞められてもおかしくない。
さて、あたるの希望としてはここから更にもう一戦交えたいところだ。例によって乗り気でない面堂をどうやってその気にさせるか、あたるは面堂の上に乗りかかりながら思案し始めた。
「うん、だが外はまだ明るい、時間はある」
「そういう問題じゃ……」
「そういう問題だろ、今は」
「っ、ん……!」
こちらを押しのけようとする手を掴まえてシーツの上に縫い留め、そのまま強引にキスをする。口ではなんと言おうと、こうして唇を重ねると次第に力を抜いて大人しくなるのだから、どこまで本気で嫌がっているのかいまいちわからない。しかし、仮にこの身体では前ほど力が出ないのだとしても、この程度の拘束を抜けるくらいなら今もできるはずだ。本当に嫌なら面堂が自力でどうにかすればいいのだから、こっちがわざわざ遠慮してやる必要はない、と思う。
「こんなことで体力を使い切って、明日に響いたらどうしてくれるのだ!」
「そうなりゃむしろ好都合じゃね? 万が一うまく行ったりなんかしたら困るのはおまえだぞ」
「それはそうだが……」
「ほれ、やっぱりそうだろ。見合いが失敗する手伝いならいくらでもしてやるよ」
友達のよしみだ、と茶化して付け加えると、面堂は「心にもないことを……」と呆れた顔をする。それはそれで心外である。確かに昔は面堂が嫌いだったし、毎日飽きもせず喧嘩ばかりしているが、今となっては面堂も友人の一人と捉えている。まあ、友人を相手にこうして押し倒して犯すのかと言われれば肩をすくめるしかないのだが。
もしかすると、もっと別にふさわしい言葉があるのかもしれない。その言葉が何かは、あたるにはわからないとしても。
「諸星……」
「ん?」
首筋にキスを落としながら穏やかな手付きで胸元をまさぐっていると、面堂がおずおずと口を開いた。
「さりとてこれも、やはりなにか違う気がするのだが……」
ぺろりと鎖骨のあたりを舐めると、面堂はぴくっと肩を強張らせて小さく声を漏らした。これで三度目になるうえ、すでに何度もイカせているから、今の面堂はどこを触ってもかなり敏感に反応する。たとえばこうして脇腹をゆっくり撫であげるだけでも、面堂は息を殺してこみ上げる快感に抗うことになる。面堂は切なげに目を閉じながら、吐息混じりの声で言う。
「そもそも見合いとセックスになんの関係が……」
なかなか鋭いな、とあたるはひそかに感心した。余裕がない割にもっともな指摘をするものだ。こちら側に理がない場合、そのまま言葉でやりあうのは得策ではない。あたるは面堂がこれ以上余計なことに気がつく前に、するりと手を滑らせ下腹部に触れた。
「そういうことは後で考えりゃいいんだよ」
「あ……!」
指を挿し込んだ途端、びくっと面堂の身体が大きく跳ねる。内部のこの場所を優しく撫でさするように触られるのが好きだということは、今までのセックスの中で見抜いていた。このままなし崩しで事を進めようとするあたるの思惑に面堂も勘づいたようで、指先の動きに反応しながらも悔しそうに目を細めている。が、結局快楽には勝てなかったのか、次第に目つきがとろんとして甘い声をこぼし始めた。
「きもちいい?」
あたるが心持ち優しく声をかけると、面堂は素直にこくりと頷く。身体を重ねているときの面堂は、こういうふうに妙にしおらしい態度を取る瞬間があって、あたるはそれを見るのが嫌いではなかった。
「っ、あ…?」
不意に面堂が戸惑ったように小さく声を上げ、そのままギュッと目を閉じてふるりと身体を震わせる。
「んッく、うあっあっ…!」
「あれ、もうイったの?」
「っ、はぁ、あ…ッ」
面堂は腕をあげて顔を覆ったが、びくびくと痙攣する身体の動きを隠せるわけでもない。
「いま自分でもイくと思ってなかっただろ」
「…っうるさい……」
乱れた吐息の合間に掠れた声が返ってくる。色気もなにもない投げやりな返事だが、かえってそれが面堂の余裕の無さを語っていて、あたるは思わず微笑んでしまう。ついでに、意地の悪い一言も付け加えた。
「こんなにえっちな身体になっちゃって、ちゃんと男に戻れんのか?」
「きみがぼくをこんなふうにしたんじゃないかっ、全部きみのせいだ……」
すると思いもよらない言葉が返ってきて、あたるは少し固まった。面堂は相変わらず顔を隠しているので、どんな表情をしているのかわからない。あたるは身を屈めて面堂の腕にキスを落とした。唇が触れた瞬間面堂の肩が小さく跳ねるが、あたるはかまわずに何度も軽く口づける。
「おれのせいだと思う?」
「っ、他に誰がいると……」
「おまえも男なら、そんなこと言われたらどうなるか想像つかんかな……」
あたるは彼の顔が見えるように腕を掴んで引き、そのまま手首をシーツに押し付けた。ようやく見られた面堂の顔に浮かんでいたのは、意外にも怒りではなかった。面堂は随分弱気な顔をしていた。自分の変化に困惑して、逃げ出したいのにどこに逃げればいいかわからないというような、そんな表情だった。上気して赤らんだ目元にはうっすらと涙すら浮かんでいて、あたるは思わずぞくりとしてしまう。
このままこいつをめちゃくちゃにしてやれたらどんなに良いだろう、と心の奥の悪魔がささやく。声が枯れるまで泣き喚かせて、その声を聞いていたいと思う。嫌がるのを押さえ付け、気絶するまで無理やり犯してやりたい。面堂が苦痛に顔を歪めるところを、屈辱に涙を流すところを、心ゆくまで眺めることができるなら。
「諸星……?」
あたるが黙り込んでいると、面堂がどことなく不安そうにあたるを見上げて問い掛ける。
「いま、何を考えている?」
それを包み隠さず答えたら、おまえはどんな顔をするのかな、面堂。
あたるはその誘惑を噛み締め、ゆっくり味わってから、明るく気の抜けた笑みを浮かべる。
「いや〜、今のでおまえがイくの何回目だったかなと思ってな」
「なっ、数えんでいいそんなの!」
「そろそろ二桁……」
「やめろと言っとろうが!!」
あたるが普段通りのおちゃらけた態度を取ると、面堂はホッとした様子でまたいつもの威勢を取り戻した。そんなに簡単に警戒を解くべきではないだろうに、とあたるは思うが、何も言わなかった。素直に見たままの姿を信じるのが、面堂の性質だとわかっているから。
あたるは面堂に深く口付けながら、また体と体を繋げる。抱えた面堂の脚がびくりと跳ねて、んん、とくぐもった声がキスの合間に漏れた。はじめは少し硬かったその声も、動き出せばすぐにまたとろけて甘くなる。燃えるような快感にくらくらして、面堂からその声を引き出すためなら何でもしたいような気持ちになってくる。面堂は、あたるの持つこの危ういまでの情欲に気付いているのだろうか。
身体どころかその唇すら男に汚されたことのない清らかな乙女でも、自分の身の守り方は知っている。遊蕩を目的とした男が女に何を求めるのか、それを不用意に渡してしまうとどうなるのか、予めしっかりと警告されているからだ。その一線を越えることはまず許されないし、少しでも越えようと試みれば強い拒絶に遭うことになる。それは、処女神アルテミスの裸を覗き見し、その報いとして八つ裂きにされたアクタイオーンの時代からずっと変わらない。
でも面堂にはそういう認識が全く欠け落ちている。面堂は今の自分が男から見てどれだけ魅力的なのか全然わかっていないし、男からの劣情の対象に自分がなりうるという発想さえ微塵も持っていなかった。
面堂は呆れるほど無防備で、自分の守り方を知らない。
自分の体のどこまでを他人に許していいものなのか、体のどこに快楽の蕾が眠っているのか、それについても何も知らない。だからあたるがその蕾をこじ開けるたびに面堂は戸惑い、花を摘み取るたびに怯えと陶酔の入り混じった表情を見せる。情欲の生み出す快楽をひどく厭うくせに、それと同じくらいこの快楽を喜んでいて、その自己矛盾による葛藤が面堂のなかに言いようのない媚態を生み出すのだった。
手つかずのまっさらな状態から、こうして面堂の変化を観察しながら少しずつ自分好みの身体に作り変えていくのは本当に面白くて、この遊びが今回限りでおしまいなのだと思うと残念だった。
しかし、だからといって面堂にずっとこのままでいてほしいなどとは全く思わなかった。昨日面堂に言った言葉はすべて本心からのものだ。たとえ今の面堂にどんなに惹かれるものがあっても、あたるの慣れ親しんできた今まで通りの面堂と取り替えてしまえるほどかといえば、とてもそんなことはない。
思えば不思議だった。可愛い女の子がこの世にひとり増えるよりも、毎日言い争いや喧嘩ばかりの陰険な男が戻ってくるほうがいいなんて。でも何度考えてもそうなのだ。
あたるは腰を動かしながら熱い吐息をこぼす。時間を考慮してもこれが最後になるだろうと思うと、簡単には終わらせたくなかった。なるべくじっくりと、余すところなくこの快楽を貪っておきたい。それこそ、最後の一滴まで。そんな思いが、今まで以上に慎重かつ周到な責め方につながった。
そしてそれが面堂を思ったよりも深く追い詰めていることには、面堂が音を上げるまであたるは全く気付いていなかった。
「諸星、頼むから……もういい加減やめるかイかせるかどっちかにしてくれ……」
ぎゅ、とあたるの腕を掴んで面堂は消え入りそうな声で言う。
「あとすこしでイきそうなのに、さっきからずっと直前で止まって……、きもちいいのが、ぜんぜん消えない、くるしい……」
「……イかせてほしい?」
「……」
面堂は答えなかった。ただあたるを捕まえる指に、縋るように微かに力が加わるだけだ。
そしてあたるはこの瞬間、面堂が今まで一度も言わなかったこと、そして今後一生言うことがないであろう言葉を言わせるチャンスが眼の前に転がっていることに気付いてしまった。
これが最後のひと勝負だ。
「どこをどういうふうにされてイきたいか、おれに言える?」
「……なんだって?」
「こうやってイかせてほしいって、おねがいしてくれたらそのとおりにする」
「そっ……そんなこと、ぼくが言えると思うのか!?」
「うん、死んでも言いたくないよな? だからおまえに言わせてみたい」
面堂は言葉を失ってまじまじとあたるを見つめた。どこかにほんの少しでも冗談であることを示すものがないか、探しているようだった。しかし残念ながらあたるは本気で、面堂がどう思おうと退く気はないのだった。
面堂はしばし凍りつき、それから少し口を開いて何かを言いかけたが、そのまま止まってしまう。やがて思い直したように首を振ってあたるから顔を背けた。
「だめだ、言えない……」
「さいごまで気持ちよくなりたいんだろ?」
「無理だ!」
「たった一言ではないか」
「諸星、たのむ、言いたくない……」
「なあ面堂、ずっとこのままでいたいのか?」
「こんな……こんなの卑怯だ……人の弱みに付け込んで……」
「そーかそーか、おれという人間のことを、おまえもようやくわかってきたようだな」
面堂は途方に暮れたように口元に手を当てて、それきり口を閉ざした。あたるは面堂から漏れる喘ぎ混じりの吐息に耳を傾けながら、ゆるゆると動いて追い討ちをかけていく。それでも沈黙による抵抗は長い間続いた。この沈黙の裏には、どんな葛藤が隠されているのだろう。今、どんな欲望がこいつの中で暴れまわり、どうやってそれを押さえつけ、いまだ理性にしがみついているのだろう。あたるもまた自分のなかの動物的欲求と戦っていた。それは、全てを暴き奪い取りたい、策略も何もかも放り投げて思う通りにしたいという激しい欲求だった。じりじりと胸を焦がしながら、そのときが来るのをあたるは静かに待っていた。今この時間こそが、この駆引きにおける正念場だった。
どのくらいそうしていたのかわからない。だが、ついに面堂がためらいがちにあたるを見上げると、あたるの肩を掴んでおずおずと引き寄せた。唇が耳にかすかに触れ、心臓が跳ねる。面堂は、あたるの耳へ本当に小さな声でそれを囁いた。
ぞくぞくと興奮が背筋を駆け上る。ようやく手に入れた言葉を、あたるは頭の中で何度も舌で転がすように味わった。それは、今までどんなことをしても得られた試しのない、胸の震えるような甘美な陶酔だった。
「うん……わかった」
そしてあたるは、聞きだした通りのやり方で、自分でも意外に思うほど優しく面堂を抱いた。身も心もとろとろになるまで甘やかして、面堂が恥ずかしそうに「もういい」「もう十分だ」と口を挟んでも、丁寧に優しく快感を引き出していった。最後に面堂はびくんと震えて達した。いつもの強引なやり方のときと違って、絶頂の幸福感を味わうように恍惚とした表情で身体の感覚に身を任せている。こんな顔もするんだな、とあたるは思った。とても気持ちよさそうだし、幸せそうだ。見ているあたるまで、胸の奥からじんわりと幸せな気持ちになってくる。不思議な感覚だった。
あたるはその気持ちのまま面堂にそっと口づける。面堂もすぐに応えた。面堂とするキスは、ふわふわと宙に浮かんでいるみたいに心地がいい。この時間が終わらなければいいのに、と思う。幸せな夢の中で、いつまでも微睡んでいたい。
でも、物事にはいつだって終わりがある。