06 日曜日

「おでかけ、おでかけ!」
 今日のラムは地球人の女の子と同じような格好で、七分丈のやわらかなブラウスに細身のパンツを合わせていた。日の光を浴びてきらきらと輝く髪をアップにして、黄色いリボンで結んでいる。
 ラムは、にこにこしながらあたるの腕を引いて元気よく歩いている。ポニーテールの先も踊るように揺れた。
 あたるはむすっとしながら彼女に釘を差した。
「あのな〜ラム、昨日から何度も言っとるだろ。今日は別にデートではないのだ。あまり引っ付くでない」
「でも、二人きりだっちゃ!」
「今はな。待ち合わせ場所に着くまでの話じゃろ〜が」
「うん、だからもっとゆっくり歩くっちゃ~」
 そういう割に、うきうきと弾む心を抑えられないのか、ラムの足取りはずいぶんと軽い。あたるはため息をついて、ラムに気づかれぬように少しだけ歩く速度を落としてやった。
 今日は日曜日だった。メガネと示し合わせたとおりに、あたるはラムを連れて友引商店街まで来ていた。もちろん、雑誌と引き換えにした交換条件を果たすためだった。ラムと一緒に商店街で遊びたい、というのがメガネたち親衛隊の要望だったわけである。たしかにあの雑誌については夜は散々な結果に終わって、おかずとしては結局使えずじまいになっているが、あたるとしては雑誌に罪はないと思っている。強いて言うなら、悪いのは……。そこであたるは思考を無理やり打ち切り、ちょうど近くを歩いていた女の子に声をかけていつものように電撃をもらった。
 目印になるお店の前まで来ると、親衛隊の連中はすでにそわそわしながら待っていた。
「よ、メガネ」
「こんにちは、メガネさん!」
「いや〜〜ラムさん! 来ていただいてまっこと光栄です!!」
 メガネはあたるを押しのけるようにラムに近づくと、にっこりと満面の笑みをたたえて元気よく挨拶した。
「ラムさん、こんにちは〜!」
「みんなも、こんにちは!」
 だらしない笑みとともに次々に投げられる挨拶は、いずれもラムにだけ向けられたものだった。
 あたるはラムの腕を引いて引き寄せると、彼らとラムの間に立った。
「こらっ、おまえら! おれを無視するなよっ!」
「ん? 何だおまえもいたのか、あたる」
「ぜ〜んぜん気付かなかった!」
「おまえらなぁ〜〜!」
 あたるが睨みつけると、メガネはおかしそうに肩を震わせた。
 そのとき、ラムがあたるの袖の裾をつまんで、ちょいちょいと軽く引いた。
「ね、ダーリンあれ見て!」
「ん?」
 ラムが指さす方向を見てあたるは目を丸くする。
 この下町風情あふれる商店街に最も似つかわしくない人間が、やはりこちらを見て驚いたように固まっていた。
「げ、面堂?」
 せっかく学校の外にいるのに、どうして面堂なんぞと顔を合わせなければならないのか。
 面堂の隣にいたコースケと北斗が、あたるに軽く手を上げた。 
「お〜、あたるじゃねーか」
「コースケ。何やってんだこんなとこで」
「そりゃこっちのセリフ……と言いたいとこだが、まあ見りゃわかるな」
 あたるの腕にしっかり自分のものを絡めているラムと、その周りにいるメガネたちを見て、コースケは朗らかに笑った。
「しかし、おまえらど〜して面堂なんぞと一緒に――」
「ラムさん!」
 すぐ近くで発せられた声に、二人の会話は不可抗力で遮られた。面堂が目を輝かせてぱっと前に出てくる。
「やあラムさん、まさかあなたにお会いできるとは……」
 その途端親衛隊の全員が面堂に冷たい視線を投げかけるが、面堂は気にも留めていない、どころかおそらく彼らの存在を意識に捉えてすらいない。こういう無神経さが男子から煙たがられる所以である。
 面堂はラムの手をさり気なく取ろうとするが、ラムのほうもほとんど無意識と言っていいほど気軽にさっとそれを避ける。背後の親衛隊がにっこりした。
 ラムは何事もなかったように、面堂に微笑みかけた。
「珍しいっちゃね〜、終太郎がお休みの日に友引商店街を歩いてるなんて」
「たまには、庶民の生活を知る機会を持つのもいいかと思いましてね」
「面堂のことだ、絶対なんか下心があるぞ」
「面堂がそんな殊勝な心がけでこんなとこ来るわけねーよな」
「おい、聞こえているぞきさまら……」
 面堂はひくりと頬を引きつらせて、どこからともなく日本刀の収まった鞘を出してくる。
 それでも寄り集まっている男たちは悪びれもせず、びーっと舌を出してそっぽを向いた。恋する男子高校生は時には小学生のような振る舞いに走ることもあるのである。
 あたるはコースケに顔を向けた。
「で、おまえら、こんなとこで連れ立って何をしておったのだ?」
「いやほら、牛丼屋のとなりに新しい喫茶店できたろ? そこにさ――」
「コースケ!」
 面堂が少しきつい声で遮った。あ、とコースケが声をこぼして口をつぐむ。
 その続きを引き取ったのはメガネだった。
「あ~、あそこか! 赤いリンゴの看板の店だろ? おれも聞いたぞ。お店で働いてる女の子がなかなかかわいいんだとな」
「なにぃ!」
 今週、商店街に新しい喫茶店が開いたらしいとは知っていたが、働いている女の子の話は初めて聞いた。コースケやメガネに女の子の情報で後れを取るなど、一生の不覚といってもいい。
「おまえら、そこに行くところだったのか」
「……ま、そんなとこだ」
 コースケはちらっと面堂に目を向けてから、そう言って笑った。
 あたるは考える前に口を開いていた。
「ならばおれも行く!」
「ダーリン、いきなり何言いだすっちゃ!」
 ラムがすぐにあたるに詰め寄るが、あたるは意地になって言い張った。
「やかましいっ! 行くったら行く!」
「もうっ、ダーリンってばまたそんなこと……!」
 あたるがふんっとそっぽを向いて譲らない姿勢を見せると、断固たる表情でラムは腕を組んだ。
「ダーリンが行くならうちも行くっちゃ!」
「ラムさんが行くなら当然我々も!」
「おともします、ラムさん!」
 メガネたちラム親衛隊も、わあわあとラムの背後で騒ぎ出す。
「ま〜、おまえらを見つけたときからなんとなくこ〜なる予感はしてたが……」
 コースケはぽりぽりとうなじをかいて、面堂に目を向けた。
「いいよな、面堂?」
「かまわない」
 ぞろぞろと全員で商店街を歩き始めながら、あたるは口を開いた。
「なんでおれが面堂の許可をもらわにゃならんのだ」
「そりゃ、言い出したのが面堂だったからな、これ」
「そ〜なの?」
 反射的に面堂に目を向ける。相変わらずのすました顔は、こちらに向けられる気配はない。あたるたちと並んで歩いてはいても、会話には入る気がないらしい。
 休日の商店街は人通りが多く、すれ違う人々を避けていくうちに自然とあたるたちの形作る行列も細長くなっていく。気がつけば、あたると面堂は二人で並んで歩いていた。
 あたるはむすっと唇を尖らせて、面堂に咎めるような目を向ける。
「おい面堂」
「なんだ」
 すぐに返事がある。そんなの当たり前のことなのに、なぜかあたるは少しホッとした。
「かわいい子がいるっちゅ〜話だったなら、ど〜しておれにも声をかけなかったのだ」
「だがきみは、ラムさんたちとこうして出かけてるじゃないか」
 面堂は前を見たままそっけなく言った。
「そりゃ、そーだが」
「なら、どのみち同じ結果になっただろう」
 面堂の声色には、この話はこれで終わりだというような、有無を言わさぬものがあった。
 確かに、先にほかの約束があった以上、声をかけられたところであたるは一緒に行かなかったかもしれない。でもそこは問題の核心ではないのだ。面堂が、女の子の絡む事柄に関して、あたるではなく別の人間を優先して選んだ。その点がどうしても納得いかないのだった。
 それから会話はふっつり途切れ、面堂とあたるの間にはどこかぎこちない沈黙が降りた。それもやはり二人にとっては珍しいことだった。面堂と一緒にいて、二人とも黙っていることなんか今まで一度でもあっただろうか。少なくともあたるには思い当たらない。
 ラムは後ろでメガネたちと学校の話をしているし、二人の前を並んで歩くコースケと北斗は牛丼屋のメニューについてぐだぐだと言い合っている。前後がいつもどおり賑やかな分、間に挟まる自分たちの沈黙が余計に際立つように感じた。
 やがて面堂は少し歩調を速め、思い出したようにコースケに向かって声をかけた。
「コースケ、さっきの話だが。やはりぼくは賛同しかねる、と言っておく」
 面堂はそのまま、またコースケの隣りに並んだ。
「いやいや、噂によれば、聞けばわかるはずなんだって。今のところ確かめる方法はないけどさ〜」
「さすがにエセ科学の領域ではないのか。電力の配給元によってオーディオの音が変わるなんて」
 話を聞いているうちに、ふと気付いた。面堂はさっき、コースケ、と呼びかけた。苗字ではなかった。そのことが妙に気にかかって、何度もそのことを考えた。今までそんなの気にしたことなんかなかったから、いつからかなんてわからない。
 おれのことは、一度だって「あたる」って呼んだことないくせに。まあ、いまさら呼ばれたって気持ち悪いだけとはいえ。
 そもそも、なぜ今になって急に、そんな些細なことが気に障ったのか、あたるは自分でもよくわからなくなった。もやもやした気持ちは大きくなるばかりで一向に消える気配がない。
「ダーリン、ど~かした?」
「ん?」
 いつのまにか親衛隊の輪から抜けたラムが隣を歩いている。ラムは首をかしげて、少し心配そうにあたるの顔を覗き込んでいた。
「なんだか、むずかしい顔してるっちゃ」
 あたるはぱちくりとまばたきしてから、真面目くさった声で答えた。
「いや、これから会う女の子にど~ゆ~切り口で連絡先を聞き出そうか考えとってな……」
「心配して損したっちゃ」
 ラムの呆れた顔をよそに、あたるは頭の後ろで腕を組んでうひひと笑う。
「いや~楽しみだな~!」
「うちのスペシャルな電撃の前でも同じことがいえるか、今度はそれを考えてみたらど~だっちゃ?」
「それはまた別の機会に!」
 へらへらといつも通りに笑うあたるに、ラムは小さくため息をつく。だが、あたるは気にしていなかった。
 そうだ、今からかわいい女の子に会うというのに、なぜ面堂なんぞのことで頭を悩ませなければならないのだ? そんなくだらないことで。
 あたるは前を歩く面堂の背中を蹴っ飛ばしたくなる気持ちを抑えて、代わりにまだ見ぬ女の子への期待に胸を膨らませることにした。
 きっとそれが、自分にとって一番正しいことだから。